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そしてまた思いだす

何でもないようなことが記憶の扉を開き、遠い過去に私を連れ出す。

俳句を読むのが好きである。
十七音の小さな世界、そこで私の想像の世界は広がるのである。
たくさんの俳人がいるこのnoteのなかで毎日読んでるのが『かなつんさん』息子さん、奥さんとのご家庭が中心に舞台となる俳句が何とも微笑ましい。朝一番で読むのと夜寝る前に読むのとで味わいが違う。読み手の心が違うのであるから当たり前の話であはあるが。

そして、『柳家さん生師匠』、もちろんお会いしたことは無いのだがご性格なのであろう、その平仮名だけの十七音が何とも朴訥としてて好きなのである。
菊地さんもいつも来てんなぁ、と思いながらながめていた。

お二人の俳句だけは毎日読もうと思っていたが、このしばらく今の私にしては忙しい毎日が続いていた。
そんな昨日、さん生師匠からコメントが入った。
カレーうどんから始まり、私の学生時代の思い出を書いた記事だった。その中に登場する『富貴蕎麦』に「今も江古田利用してます。ありましたね👍三菱銀行の向かい」と、コメントでした。

私より少しお歳が上のさん生師匠も江古田で学生時代を送ったようである。
あの頃の江古田の空気を知ってる人なんだと知り、嬉しかった。

そしてその『富貴蕎麦』の隣に『ハマ』という喫茶店があった。
上品な女性が経営されていたと思う。純喫茶というのだろうか雰囲気のいい銘柄指定で頼むようなコーヒー専門店であった。年中汗臭い学生服でいる私などが入る店じゃないと思い遠慮していた。

たまたまある日、遅い午後に『富貴蕎麦』で大盛りカレーうどん(おまけつき)を食べていると『江古田コンパ』の長島さんが入って来た。入学当初からエラく世話になってた飲み屋のママさん、陽の高いうちに出会ったのは初めてだった。私の向かいに座り、冷たい蕎麦を食べたと思う。そしてそのあと「時間あるの」と聞かれ、隣の『ハマ』に連れて行ってもらったのである。

人の記憶は不思議である。どこにこれだけ多くのことが詰まっているのかと、時々不思議に思う時がある。さん生師匠のコメントで不思議な記憶に浸っていた。
ご無沙汰している『江古田コンパ』である。マスターの原さんはずっとお若い頃合気道をやろうと思ったそうで、お持ちになっていた貴重な『合気道技法』の初版をいただいたのである。その大事な初版は旅に出たまま行方知れずとなり、復刻版も人に貸したまま帰らぬ人となっている。メニューの一番初めは150円のマティーニだった。順番に制覇しようと飲んだが途中いつも記憶を無くしていた。翌朝の二日酔いはひどく、自販機のオレンジジュースを見るともどしそうだった。

何年か前、NHKの『TOKYOディープ!』に出ていたお二人を見かけた。当たり前ではあるがお歳を召していた。当時ずいぶん年上の方と思っていた。今一体お幾つなんだろうと指を折ったりした。あの時の『ハマ』では緊張した私をからかう長島さんがいたことを思い出した。

遠い遠い過去ではあるが鮮明に思い出せる記憶が不思議である。
そして嫌なことは、辛かったことは、和らいでいき、あんなこともあったなぁ、と薄まり丸くなっていってくれる。

今ある全てもそんなふうに薄まり、丸くなる日が来ることであろう。
でなければ生き辛くって仕方ない。
私たちの人生ってのはそんなもんだと私は思う。


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