色の音
日の出前、地平線は生駒山系、大阪東部を南北に連なる。
色の音を考える時がある。
耳で聞かずとも色で聞こえる音である。
色ばかりでなく風景、その時の状況で心が聞くことのできる音を考える。
子どもの頃、他人の庭に勝手に入り赤い椿の花が音を立てずに落ちたのだが、その時私の心は『ボトリ』という落花音を聞いたのだ。
他人の庭に入り込んだ罪悪感がそこにはあった。
古い日本家屋と手入れされた庭、そこにあった垣根の椿の赤を今も記憶している。
この時期の日の出前の朝焼けには凍えた空気に音がある。尖った音が胸を刺す。長く、この朝焼けに向かい生駒山系の山を越えて郷里愛知に待つ両親、兄のもとへ車を走らせた。凍てついた車の中はいつまでも冷たかった。そして、この朝焼けのオレンジはいつも『キーン』と私の胸に刺さった。
寒さで凍てついた透明の空気にも音がある。
風でなびく春の草原の緑にも音がある。
大空を走る白く輝く夏の雲にも音がある。
赤茶けたクルクル回り落ちる秋の紅葉のタネにも音がある。
すべての色に音が付いていたら煩くって仕方ないが、色の数だけ付いてくる音があるように思う。囁く、つぶやく音があるように思う。
上手くは表現出来ないが、五感は一つの脳と心が司っている。
だから、色と音が一緒になってもいいんじゃないかと思う。
そんなことを最近ボーッと考えてる時がある。