生きるためにやって来た仕事(そこで出会った人たち その1)
ゼネコン時代、二度目の京都営業所での思い出である。ここで出会った所長には多くのことを教えてもらい、多くの人に会わせてもらった。
発注者、受注への協力者、協力業者(下請業者)、そして多くの発注者となるかもしれない人たちに会わせてもらった。
一つ仕事を受注するのに登場人物は多い。
そして、仕事を受注するたびに付き合いは増えていくのである。
その所長の大阪支店での噂は良くなかった。
「仕事は出来るが、、、」
と言うのが多かった。
しかし付き合ってよくわかった。
余計なことは喋らないのである。
言い訳もしない、だから勘違いされる。
それは一昔前の営業マン、特に役所相手の営業マンにこんなタイプの人はいたようだ。
どうしても、官公庁の人間と付き合うとややこしい問題が持ち上がりやすい。
だから、書類も多くは残さない。
そして、多くは喋らないのである。
いろんな事を考えている人で、いろんな事を経験している人であった。
梅雨の時期、京都特有の蒸し暑さが増してくる頃に不思議な経験をさせてもらった事を以前ここに書いているのでご興味のある方は参照いただきたい。
いろんな方に紹介してもらったが、一番印象に残るのは役所の現役の部長だった。
その方とはOBとなった今も付き合いさせていただいている。
ある夕方、外回りを終えて私が営業所に戻るとお客さんが二人来ていた。
応接室に通さず、事務所内、所長の席の前の応接セットにいた。
一人は私が事務屋時代、事務課長がいつも飲み屋の請求書をまわしていた土木会社の社長、両手の一部分が欠損しているもと反社会勢力団体の方だった。
久しぶりの再開に喜んでもらった。
そしてもう一人が役所の現役の部長だった。
なぜ、そんな二人がそこに同席していたのかを説明すれば誰もが理解してくれるだろうが、ここで書く事の出来ないしがらみも業務としなければならない立場の部長だったのである。
京都営業所は河原町通沿にあり、所長の机の後ろは一面ガラス張りで眺めが良く、東山が夕陽に映えてとても綺麗だったのを思い出す。
そこでビールを飲み、祇園のクラブまで行き、その日は営業所のソファで寝た。
その部長と会うのは夜の祇園が多かった。
支払いは別々かその部長の支払いである。
ご馳走になることが多く、私が全てを支払うことは一度も無かった。
させてもらえなかった。
この頃からもう二十年が過ぎる。
自身の自治体や府のことを一番に考えていた。
そのためには信頼できる業者に発注したいと言っていた。
本当にいろんな事があった。
いろんな事をした。
直接受注に結びつく事の方が少なかっただろう。
私の性格も影響しているだろうが、仕事だけの付き合いでは、民間人の私が入り込めない世界に連れて行ってもらうことは無かったと思う。
ゼネコン営業マンの仕事はある物、出来上がった物を売るのではなく、まだない物、これから作り上げる物を売るのだから定石の営業なんてないんだと思ってやっていた。
その頃は本当に個性的な営業マンがたくさんいた。
十五夜のお月様を見送った朝、秋はやって来ていました。