
雨の御堂筋
「こぬか雨ふる御堂筋
心変わりな夜の雨」
1971年昭和46年、私は愛知県豊橋市の駅裏から徒歩5分ほどの住宅街に住んでいた。
小学5年の私はその深い意味もわからぬままに欧陽菲菲の「雨の御堂筋」を口ずさんでいた。
深く考えることもなかろうに、自身の事ではないと割り切ってしまえばよかろうに、障害を持つ兄を生涯背負わなければならない自身の荷と考えていた。
「ああ、降る雨に泣きながら
肌を寄せて傘もささず
濡れて、、、。」
意味も分からぬままに共感していた。
途中、どう勘違いしたのか、逃げ出したのか、兄貴のことはすっかり頭から外してしまい、世で言う青春を謳歌して過ごしていた。
でも今考えればいつかは巡り来る自身の責務を認識していたからか、やる事なす事すべてが度を外れていた。やれる事はすべてやってやろう。半ば捨て鉢な東京での学生時代であった。
そんな私は流れ流れて大阪に来た。当時の私には会社を辞めて東京に戻る選択肢は無く、大阪で一花咲かすつもりでいた。
初めて歩いた御堂筋で欧陽菲菲を思い出すことはなかった。
夜、北の御堂筋の入り口でクールファイブを思い出していた。マイクを片手に中之島ブルースを歌っていた。
「水の都に消えた恋
泣いて別れた淀屋橋」
多くの思い出が私の脳を去来する。御堂筋にはたくさんの取引先があり、たくさんの話しをしたはずなのに残るは虚無ばかりである。
「梅田新道 心斎橋と
雨の舗道は寂しく光る
あなた、あなたの影を
あなたを偲んで南に歩く」
私のあなたは何なのか、あの頃探していたあなたは何だったのか。
今の私には分からない。
こぬか雨の新御堂筋から御堂筋に続く梅田の虚構の街を眺めて考えた。
濡れて歩けば分かるかもしれない。
でも、今分かってはならないのである。
その理由も考えてはならないのである。
そんなことが人生に一つや二つ、誰にだってあるものである。