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大先輩の奈良漬け

御年八十五歳となる。私も21年後にはこんなふうに居れるのだろうかと羨ましくもなる方である。
「おい、今日はどこにいる。梅田に行くから会えんか」と電話が来る。
世話になった元上司である。断れるわけがなく予定変更して出先から堂山町のいつもの小料理屋に向かったのである。

ご苦労して大学の電気科を卒業して大阪の鉄道会社に入社され、関西の大きな駅の設計と都市開発に携わり、エネルギーの基幹を変える発想を持ち大阪界隈を陰で支えてきた男である。こんなことは本人の資質もあるだろうが、その時の時代と環境、頭の柔らかな上司の有無によると思う。
関西を作ってきた創業者の薫陶を直接受けてはいないものの、間接的にその濃い残り香のなかで育つことができた人なのである。
そんな背景のなかを生きてきた大先輩を羨ましいと思いはしても、羨んでもどうなることは無い。私はただ前を向いて生きるしかないのである。枯渇しきってしまう前に大先輩の残るエネルギーをもらっておかねばならないのである。

今晩は久しぶりに会う本当の「まちづくり」を考えるNPOの若い理事長を連れて来ていた。関西の某国立大学の建築科を優秀な成績で卒業し関西の某スーパーゼネコンの設計部をスピンアウトして独立した。関西で1,2を争う某設計士に師事していた彼はその先生が急逝し、その先生が主宰していたNPOの理事長を引き継いだ。

その時に世の現実を見た。某設計士の大先生がお元気なうちは蟻のように群がっていた取り巻きはそれこそ津波に巻き込まれた蟻のように全員姿を消していった。その時残ったのは現理事長の彼と私の大先輩だけだった。まだ上司だった大先輩から「おい、宮島手伝ってくれ」とNPOの残務整理を手伝ったのである。そしてきれいに清算して、新しいNPOとして動き出している。

多くの人間は自分の都合で生きるのである。義理は忘れて知らぬ顔ができ、人情は上っ面の口先だけである。そして井戸を掘ってくれた人間を、知っていながら忘れることができるのである。
「でも、それでいいんだよ」と大先輩は宣うのである。
他から聞けば、昔から気が強く「あの男とは喧嘩をするな」と言われるほど元気な方だったようである。長く生きることで気が萎えるのか、長く生きることで諦めが身に沁みつくのか、私にはわからなかった。
でも、最近はすべてを見切ることができるようになったからじゃないかと思う。だから、仮に出来ぬ事とわかっていてもやるんじゃないかとも思うのである。それは私たちに身を持って教えるためであり、そんな気持ちをこの世から消し去らないためなんじゃないかと思う。

すべてが成功しなくてもいい。経過だって大切であり、次を生むことだってある。辛い、難しいのは当たり前なのである。そんな艱難辛苦があるからこそ、人は成長出来るんだと思う。そんなことを身を持って経験してきたに違いない。
そして今、この時間があるのかも知れない。

奈良在住の大先輩は店に奈良漬けを持って来ていた。付き合いの長いこの店にいつも必ず何かを持参する。時々持ってくるこの奈良漬けを見るたびに、パブロフの犬のように奈良漬けで大先輩を思い出す日がそのうち来るのだろうと思う。
平安の貴族たちも口にした、この見た目の美しくない奈良漬けを口にするたびに「香の物」はここから生まれた言葉なんじゃないかと思う。たくさん食べたいものじゃない、でもあれば見た目も匂いにも、もちろん味にも存在感のある奈良漬けである。
私はこのウリの奈良漬けのミジン切りと、ミジンに切った晒し玉ネギとをオカカとで和えたのが好きである。強い奈良漬けの存在が優しい存在に変身するのである。ご飯のお供に良し、もちろん酒のアテにすれば酒好きに長い冬の夜に静かな思索の時間を与えてくれる。

今年はこの大先輩にお会いするのは最後だろう。そう思いながら御堂筋線で阿部野橋駅まで送ったのだが、話し込んでいて挨拶を忘れていた。
でも、それでよかった。ならばまた今日と同じ日がやって来るに違いないと、どこかに本当の別れを惜しむ私がいた。


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