阿倍野の飲み屋のものがたり その5 (ネギ入り玉子焼き編)
最初はだれでも一見だ。
立ち飲み屋は飲み屋の中でも一見さんの多い業態だろうと思う。
たいていの立ち飲み屋はこの流行り病の前から入り口はオープンである。
そして、客単価は安い。
誰でも入りやすいようにしてあるのである。
考えれば私の店にもたくさんの一見さんが足を運んでくれた。
それは開店してそれほど時間は経たないまだ陽の残る夕方だった。
「よろしいかしら」その女性客は関西弁を使わなかった。
その女性客も私の前に立った。
短髪の品の良い70は過ぎているだろう着物姿の女性だった。
私はとっさに非常用に置いてあったスツールを女性のために取り出してしまった。
あとで考えればそれが仇になったとも言えた。
座った女性はライムのチューハイで急に口が軽くなったように自身のことを話し出す。
東京のご出身、見合いで見染められて気が進まなかったけれども大阪まで嫁いだこと。
ご主人は数年前に亡くなってしまって一人暮らしであること。
ご主人との生活には満足を感じることは無かったことまで。
そう言いながら、ご主人にもらったんだと指が筋肉痛にならないかと心配になるようなデカいダイヤの指輪を私に見せてくれた。
そこに「おお、宮さん土産だ」とパチンコ屋からの帰りのいつものビルのオーナーが単価一万円のチョコレートを二つカウンターに置いた。
生ビールを注文し、「宮さんも飲んでくれ」と言い、私が注いだジョッキを手にそばまで挨拶に行くと耳元で「あの人よく来るのか」と囁く。
「なんで?」と小さな声で聞くとここらで一番の地主でビルもいくつも持っているらしい。
「そうですか」とお聞きし、必要最低限の情報として頭に仕舞った。
「何か食べるものを、、」と言われてネギ入りの玉子焼きを焼いた。
聞けばここに来るまでに近所の高い寿司屋に人に誘われて行ってたそうである。
「美味しいお酒だけ頂いてきたのよ」と言った。
近づく不動産業者や建設業者が後を絶たないようであった。
私の焼いた玉子焼きを熱いうちに食べ切ってくれた。
そして「お兄さん、料理上手ね」と標準語で言ってくれた。
初回からいけなかった。
寿司屋で飲んできた酒に加えてライムのチューハイ二杯で足を取られて自分の意志で歩けなくなった。
お客さんに店を頼んで送らせてもらった。
近くのデカい鉄筋コンクリートの家だった。
家にはお手伝いさんしかいなかった。
店を気に入ってくれたようで、その後も何度も足を運んでくれた。
店のにぎやかな雰囲気に身を置きたかったのだろう、ご主人と二人で生活したお手伝いさんしか待たない家には帰りたくないのだろう。
ライムのチューハイ二杯か三杯、それからネギ入りの玉子焼き。
それでいつも軽い事故が必ず起きた。
ここでそれを書くことは出来ない。
日中、近鉄百貨店の入り口で娘さんと歩いているを何度か見かけ、ばったり出くわし、紹介されたこともある。
不思議であった。
近くに住む娘、孫と一緒に生活出来ないこと。
毎晩家にいることが出来ないこと。
金はあっても幸せそうに見えないこと。
答えは難しくはない。
寂しさ、
以上。
客を相手に考えるべきことではない。
私たちは粛々と酒を売って、飲ませて儲ければよい。
しかし、酒好きな私からすれば酒は自分の子と同じだ。
寂しさ紛らわしのために自分の子を差し出したくはないのだ。
私たちは粛々と売って、飲ませて儲ければよい。
分かっているが気は進まない。
必要以上に考える自分の性格がよくないと思う。
分かっているがこればかりはどうしようもない。
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