6月29日京都も暑かったという話
この日本で最近まであった『梅雨』という概念が変わってしまうのか、それとも気候自体が変わってしまったのか、なんだか『梅雨』に懐かしさを感じるのは私だけなのだろうか。
梅雨が大好きとは言わないが一年の中であんな落ち着く時間があってもいいんじゃないかと思っていた。
神の為せることなのか、愚かな人間の怠惰な積み重ねなのか、それこそ神のみが知ることであろう。
さて、6月29日に久しぶりに放置竹林整備のNPOの手伝いに京都西山まで出かけた。朝まで仕事をし、通勤で使うJRの駅を通り越し並行して走る阪急電車の駅まで歩く。
玉のような汗を流して、と思いきや9時過ぎの炎天の陽はすでに刺すように痛かったが空気は乾燥しており、まとわりつく暑さではなかった。
歩きながら note の先輩、人生の先輩の菊地正夫さんの投稿のポチ押し競争に参戦し、一番となり京都河原町行の普通電車に乗り込んだ。
目的駅の『洛西口』はまだ新しい駅、この他にも『西山天王山』も新駅として登場している。新しい高速道路により人の流れが変わったりこの地域がベッドタウン化しているということだろうか。
洛西口には理事長が車で迎えに来ていてくれた。この洛西口から京都の西に位置する洛西ニュータウンを抜けて現地に向かう。
この洛西ニュータウンは他の都市部でも見られる名ばかりオールドタウンである。高度成長期に京都市内の住宅難解消を目的にして出来たニュータウンである。当初はここまで地下鉄東西線が延伸される計画であったが、今のところ計画倒れのまま40年以上が過ぎている。
数万の人がその言葉を信じて生活を始め、今では免許証の返納を迫られるお歳になって、日々の生活にご苦労をされている方も少なくないのではないだろうか。
そんなよくある行政のつく嘘を思い起こしながら元行政マンの理事長の運転に身を任せて事務所まで行った。この二か月ほどの出来事を聞き、この先の計画を教えてもらった。理事長とは電話でよく話をし、梅田の夜でよく時間をともにするのだが、今月は私の難波での沈没の予定が重なって会えず、少し時間が空いていた。
順調に市の依頼の整備は進み、動き出した京都市内のホテル計画の竹林整備や助成金絡みの啓蒙事業と忙しい。エアコンが壊れ午後に電気屋が来る予定となっているが、もともと竹細工屋だった古い日本家屋の事務所内は我慢できないほどの暑さではない。11時を過ぎると山に入っていた皆さんがパラパラと戻ってくる。70歳前後の皆さんは本当にお元気である。この事業が元気を作っているのかも知れない。健康長寿と竹林整備、一石二鳥のNPOなのかも知れない。
夏休み中に親子での竹に触れる体験を流しそうめんとセットで行う。
こんなことの宣伝や書類作りのお手伝いを約束して帰る。
考えるブルドーザーの理事長はどうしても書類が後追いになる。
私が得意なわけではないが、長い付き合いで電話とメールだけの『阿吽の呼吸』で書類を完結できるのが理事長として重宝なのだろう。
帰りの車の中、いまだに理事長にやって来る行政がらみの難しい話を聞く。私にはそんな仕事の方が向いているのになあと思いながら、続きは梅田の夜で聞くことになった。
洛西口で電車を待つホームは暑かった。昔住んでいた京都市内の暑さを思い出した。なのに阪急電車に乗り込むと意外な涼しさに驚いた。
阪急線は、特に阪急宝塚線は夏場空調の効きが悪いので有名だった。沿線在住の高齢のご婦人の、株主総会での「寒い!」の一言で全車両の空調温度を上げるのである。
京都線は例外なのか、異常な暑さで方針を変えたのか、それともご婦人が天寿を全うされたのか、考えているうちに電車は梅田に着いた。