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街を歩く

時々、人混みに混ざり込みたい時がある。皆が目的を持って歩く通勤時の東京丸の内あたりじゃない。食うこと遊ぶことだけを目的として皆が歩く大阪難波あたりがいい。

大阪にやって来たのは自分の意志じゃない。私は抵抗すれども会社は「お前は大阪だ」と言った。それまで大阪に足を踏み入れたのはまだ小学校に上がっていない頃だった。兄の持病の診察に家族で大阪の大学病院にやって来た時だ。その頃父のボーナスはすべて兄の診療費で使われていたと後年母から聞かされた。年に二度の旅行は母のつてを手繰っての日本各地の病院巡りだったのである。

大阪では長い診察時間の間に父が難波に連れて行ってくれた。それが父と二人で初めて歩いた難波であり、父と二人で街を歩いた最初で最後の時だったのである。父を嫌いじゃなかったが、父を好きじゃなかった。「男は仕事だ」と言い、海外に出て行く父は楽しそうにも見えた。香港の空港建設に出かけた時には、父の手帳から真っ赤なポロシャツを着た父と色白の若い女との写真が出てきたのを私は見逃さなかった。

そこで父と訣別していたのである。母は看護師をしながら毎日兄の身のまわりの世話をして、私は小・中学校と兄と手をつないで朝の道を歩いた。母の判断による出生時のトラブルが兄の障害の引き金になったと言えども、子に重い荷を負わせたのは両親の責任だと私は思った。なのに父は逃げているように思えたのである。

でも、今はそんな気持ちも昇華しつつある。そんなこともあろう。人生には何でもありだと思えるようになったのである。私も仕事に明け暮れて、毎晩浴びるように酒を飲み、家庭は壊れ、息子は不登校となり、両親兄の看病・介護でここまで至った。すべては私の修行のために生まれた時にすでに仕組まれていたことのように思えてならないのである。そしてこの先のことももうすべて決まっているのであろう。

こんなことは私を普通の人間にするためにするために誰かが企んだことなのであろう。そしてたぶんその誰かはどこかで見ているのであろう。連続ドラマを観るように朝の決まった時間にチャンネルを合わせて見入っているに違いない。次にそいつは何を期待しているのであろう。奈落の底に落ち行く私の姿を見たいのか、はたまた頭上の雲へ昇り行く姿だろうか。

しかし、私は天邪鬼である。決してそいつの思う通りなどならない。意志に逆らい大阪に来たようなことは二度としない。
そいつは知らないのである。どこに行っても赤くなれる今の私の正体を、以前のように朱に交わっても赤くなれない頑固な男と思っているに違いない。でも違う、違うんだよ。それをそうさせなくなったお前の気がつかなかったことがあるんだよ。それはお前たちの知識でしか持ちあわせない年齢の正体だ。

最後にお前を「なんだ」とがっかりさせてやる。
そのために私は今を生き、これからも生きてやるさ。
お前をきっとがっかりさせてやる、そのために私はこれから生きてやるからな。

時々、人混みに混ざり込みたい時がある。
決して忘れてはならないことを忘れないために時々、人混みに混ざり込みたい時がある。



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