母よ嘆くなかれ(再掲)
子どもの頃から自分で買った本の最後あたりに買った年月日、書店名、その時あったこと、思ったことなどを書き入れている。
半年前に済ませた引っ越しなのに、まだ残る片付けのなか、段ボールの中から出てきたパール・バック『母よ嘆くなかれ』の最後には、1984年12月28日新宿紀伊国屋書店で購入となっている。私は大学生活最後の師走は東京にいたのである。そして、三冊目の購入とある。手元にはこれしかないから二冊は誰かに進呈したのだろう。たぶん一冊は母に渡したと思う。もう一冊は台湾の母、黄絢絢さんかも知れない。その晩、市橋師範が中東各国の指導から帰国ともある。私は合気道の仲間、青山学院大学の冨田君、明治大学の濱田君と新宿で酒を飲む予定となっている。なんとも懐かしい記録である。
パール・バックの『大地』を読み、深く感銘を受けた。
そして、作品の成り立ちや作品の生まれた土壌を考えていたところに、この『母よ嘆くなかれ』を読んで腑に落ちたのである。パール・バックの一人娘は知的障害を持って生まれた。その娘のことを綴った本であった。
パール・バックはほとんどの母親がそうであるように自身の分身である子の生まれ持ってきた障害をなかなか受け入れることが出来ずに自身を責め、悔やんだのである。そればかりではない、娘が死んでくれたらどんなにいいだろうかとも考える。それは、そうなれば一人で生きることの出来ぬ娘の安全が永遠に守られるという母親の情愛なのである。世界で一番幸せになるだろうと信じこの世に送り出した子どもに障害が見つかる。それを受け入れることの出来ない辛い気持ちや絶望感は想像は出来るが、たぶん男の私には本当にわからないだろう。女性じゃないとわからないと思う。
パール・バックは子に重荷を背負わせたと思う世の多くの母たちがそうであるように『そういう子たち』のために、自身のすべてを捧げるなと言っている。私の母はまさにそうであった。でも母の気持ちは間違ってはいないと思う。なぜなら母親だからである。そして渦中にいたらわからないのである。現に引き継いだ私もずっとその渦に巻き込まれたままであった。
今、仕事で障害を持つ若い子らと接して思う。彼らはお母さんが思うより、案外強い。お母さんが思うようなことを望んでいるとは限らない。お母さんが危惧する心配などへっちゃらかも知れない。
私がいつも認知症の母と心で会話したように考えて欲しい。私は『この母が普通の母親であり女であるならどう考えるか』、それを思いつつ心を鬼にした。子が不幸になることを望む母親はいないだろう。母が不幸になることを望む子どももいないだろう。
子どもたちは一人でも案外強く幸せに生きていきますよ。
あなたの息子もそうですよ。そう母に言ってやりたかった。
原題は『The Child Who Never Grew』育たない子どもたちである。Neverってのが怖い、可能性はゼロである。それを『母よ嘆くなかれ』と意訳できた松岡久子という人を尊敬する。男じゃダメだったんですよね、きっとこの本の翻訳は。
読んだ本に購入日付、書店名、その時のことを記すのは手元に置く本であればなかなかいいものかも知れない。たしかに電子書籍は重宝である。すべての紙の本を捨ててしまおうと思っていたが、今あるものはもうしばらく手元に残すことにしようと思う。