記憶の不思議
NHKの『ラジオ深夜便』を時々聴く。
真剣に内容に耳を傾けることは少なく、BGMとして流していることが多い。
その方がものが考え易かったり、作業がはかどったりする。
母もこれをよく聴いていた。
母もいつも考え事をしていたんだろうと思う。
眠れぬ夜をラジオとともに過ごしていたんだと思う。
高校生の頃、母に「昨日の夜、ラジオで素敵な音楽を聴いたけど、なんて曲なんだろう」と問われたことがある。
妙な事を言う母だと思った事を記憶している。
今ならまだしも、その当時ならば放送局に問い合わせでもしなければ確かめようもない事だ。
そんな事を憶えていることも妙ではあるが、音楽とは無縁な母であったから妙に頭に残っていたのかもしれない。
憶えていようと努力してここまで記憶に残してきた事ではない。
そんな人の記憶を不思議に思う。
そしてその記憶の蘇るきっかけが五感であり、反射的に蘇ることが面白いと思う。
今回の蘇りのきっかけはラジオのつまみである。
両親が他界し、実家を片付けた時に複数台あったラジオを処分して来た。
その中からつまみを回して選局を行う昔ながらのアナログのポータブルラジオを一台持って来た。
たまたまそれを昨日の日中に触っていた。
電池を入れて聞こうと思ったのである。
何年間も動くことの無かったラジオは電池を入れて生き返った。
そして、チューニングする瞬間に昔母に頼まれて選曲した事、母の言った言葉を思い出したのである。
つまみの径の大きさ、回す時の抵抗感を私の指が憶えていたのである。
指の触覚が記憶を蘇らせた。
人の生き死にを分けるようなとても重要な事ならば、蘇る記憶としても納得いくのだが、なんてことはないどうでもいい事を憶えていることを不思議に思うのである。
実は五感を通して脳や心に一度刻まれたことは生涯消えることなく残っているのだろうか。
それをそうだと言う人がいるが、ならばそれを自分の都合で蘇らせること、思い出すことが出来ないのが不思議である。
そこにはなにか意味があるのであろうか。
そんな事を真剣に考える必要はどこにもないのだが、そんなことが妙に気になるのである。