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大阪京橋にて

ペデストリアンデッキから眺めるビル群の姿が好きだった。
昭和60年(1985年)、大阪京橋OBP大阪ビジネスパークは私がゼネコンに入社した頃、建設工事の最盛期だった。

もともとは大阪陸軍造兵廠の跡地であったOBP、その土地の一部を所有していた私のいた会社は当時まだ残っていた日本の古き良き慣習の土曜日の『半ドン』の午後に、若い社員たちのソフトボールのためその空地を開放していたそうである。
草原の匂いがしそうなそんなのどかな風景はOBPの建設によって未来都市のように一変してしまった。

営業になりたての当時、会社が大切にする大きな電器会社とその不動産を管理する会社の担当をさせられOBPに足しげく通わさせられた。
当時の私には難しすぎる不動産の話や新築工事の話ばかりで、帰りのペデストリアンデッキで歩きながらいつも頭のなかで報告書をまとめたのである。

今より真面目だった当時はすべてを完璧に済ませたかった。
胃袋に穴が開きそうな辛いことばかりが多かったように思うが、担当した得意先の社員は気の合う歳の近い人間が多かった。
分からないことを頭を下げて教えてもらい、気を良く教えてくれる彼らには感謝した。
そんな彼らとは今も付き合う。

その後襲った時代のうねりのなか、彼らも元の会社にはいない。
いまだに元気に活躍する彼らの話を聞く。

私と同年齢の一人はラインから自らドロップアウトし、子会社の管理会社で一作業員として働いている。
今はストレス無く、仕事を楽しんでやっていると言う。
彼の気持ちはよく理解する。
サラリーマン社会の戦禍をくぐって来た男だから言える『仕事を楽しんで』という言葉である。

彼も当時は『適当』が出来なかったと言う。
仕事や家庭で人に言えぬ苦労を重ね、やっと身につく適当がある。
長く生きるためにはこの適当がとても大切に思える。

事の重大さを見極めて適当の順番付けさえ出来ればいい。
それは決して適当ではなく大切な適当の順番付けなのである。

久しぶりの京橋、旧知と別れ、一人で懐かしい飲み屋をのぞいてみた。
年中切れることのないおでんがなんだか季節に合って来た。
「適当に入れてくれ」と言いたいところだがこれは最上位の順番である。
よくシュンだ黒くなりかけた大根と一番好きなゆで玉子、シューマイの串を注文し、熱燗を飲みながら京橋の昔を思い出していた。


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