ほたるのはなし
季節外れのはなしで申し訳ない。
暑い暑い夏の夜に飛び交う『蛍』のはなしである。
note の『傘わっしょい』さんの短歌が好きで、毎晩一首づつ読ませてもらっている。
その中にある昨年末の短歌が私の記憶の引き出しに手を掛けた。
短歌 壁ホタル 人感センサーライト
センサーの狂ひし蛍のやうにしてわれはありなむたれからもひとり
の『狂ひし蛍のやうにして』とセンサーを蛍に比喩されているのだが、たった一度だけのこと、それも生まれて初めてたくさんのホタルの群れに包まれたことを思い出した。
サラーマン時代の悲しい思い出である。
決して狂った時季外れのホタルを見た話ではない。
21世紀を迎える直前の夏のこと、当時はゼネコンの営業マン、私は京都にいた。
当時いた会社には社員は1万人近くおり、営業マンもいろんなヤツがいた。
後発のゼネコンであったが大手のゼネコンに食らいつく勢いで野武士の集団と言われる存在だった。
そんな営業マンの一人が私の上司の京都営業所長に相談に来た。
付き合いのある公益法人の理事から京都に本部ビルを建てたいので協力して欲しいと言われているとのことだった。
そしてその夜その理事の自宅まで行った。
京都岩倉の奥、人里離れた田んぼの中、夜行くような場所ではない。
社有車は自宅手前で帰らせて、とぼとぼと田の間の道を歩いた。
昭和の御代の前からあるような古い日本家屋だった。
理事の案内で門をくぐり玄関に入ると着物姿の老婆が三つ指をついて待っていた。失礼だが私には日本画から抜け出た幽霊に見えた。理事のお母さんだった。あとで聞くと六十はとうに過ぎたであろう理事は母一人子一人とのことであった。
暗い日本間の客間で接待を受けた。
あまり冷えてないビール、ぬるい冷酒。冷たくなった鮎の塩焼きくらいしか覚えてない。何を話ししたかも覚えてない。
私は2時間近くかけて通ってた奈良の自宅にどう帰るかを考えていた。
終わって理事の自宅を出た時間にはもうとうに帰る電車は無かった。
クーラーの無い部屋で汗を拭きながら酒を飲んでいた。
涼しいだろうと思った外はもっと蒸し暑かった。
そこで目に入ったのがブンブン唸り声が聞こえてきそうな数のホタルの光だった。
生まれて初めて見たホタルの数だった。
翌日所長は容赦なく理事との付き合いは切った。
所長曰く「宮島、お母さんの襦袢の襟に気がついたか?」、全くわからなかった。
垢で真っ黒かったと言うのだ。金欲しさで近づいて精一杯のもてなしをしてくれたんだろうと言った。
後日、その理事は別件で収賄で逮捕された。
それからホタルは嫌いである。
この所長には沢山の事を教えてもらった。
ホタルの時期が来ると、思い出すのはこんな悲しい話だけだ。
ホタルには責任はない。
ホタルと同じこの世に生きる人間に責任があるであろう。