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楊梅(やまもも)
楊梅(やまもも)、まだ時期は早い、梅雨時に赤い実をぶら下げる、ちょうどアジサイがきれいに花を咲かせる頃である。
楊梅ってのは目立たぬ樹だ。
街路樹ともなっていて、コレと示せば案外みんな知っている樹であるのだが。
それくらい目立たぬ樹であるから精一杯結ぶ赤いその実を見ても、可愛らしいさに気持ちを向ける人間は少ないのだろう。
山や畑で桑の実やらアケビなどを野ザルのように食い回ったが、楊梅は食べたことが無い。
街路樹のそれは汚く思える。
山の入口で見た楊梅にはコバエがたかっていた。
ハエがたかるくらいだ。
とても美味いものだろうとも思ったが、虫のついた食べ物は苦手である。
しかし、私へのイメージを悪くしたのは半分は人間のせいだ。
多分ヤマモモは、自身の持つポテンシャルの高さから街路樹という称号を人間から与えられ、ある時は我々の身を車から守り、またある時にはその車から排出される二酸化炭素の削減にも寄与している。
なのにその姿は排ガスで煤けてしまい野で陽を受け深緑をまとった元気にそそり立つ本来のヤマモモではない。
しかしながら、数多くの緑のある日本で楊梅、こんな地味な目立たぬ樹をも季語として地味に俳句にしてきた風流人を尊敬する。
四季があり、山海が近くこの時期でも季語としての材は数限りなくあるのに、誰もが見落としてしまう自然の移ろいの中の機微を拾いとる。
こんなところに俳句の醍醐味はあるのだろうか。
こんな文化の育まれた日本に生まれたことをありがたく思う。