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永訣の朝

宮沢賢治が好きでした。
童話よりもこの詩が好きでした。
中学の教科書で出会ったと思います。

けふのうちにとほくへいってしまふわたしのいもうとよ

で始まるこの詩は私に賢治の亡くなりいく妹への深い愛を感じさせ、あたり一面真っ白な雪の世界を想像させました。

私の育った愛知県三河地方では想像出来ない世界なのですが、母の故郷山形県南陽市での祖父の葬儀が雪の中だったのがなんとなく記憶に残っています。
銀世界の中での厳かな儀式だったと思います。

以前のこの時期、大阪から母と兄の待つ愛知県豊川市に向かう西名阪道を早朝走るなか、よく雪に遭いました。
帰りの道中を気にしながら、思い出したのがこの詩でした。
雪の世界は特別です。
心が洗われ、素直な気持ちになれるのは私だけではないでしょう。
その中で日常生活を送らなければならない雪国の皆さんには叱られそうですが、雪にはそんな力があるように思います。

あめゆじゅとてちてけんじゃ

「雨雪を取ってきてください」妹とし子の言葉で外に走る賢治には妹への必死、に加えて雪の力もあったのではないでしょうか。

帰りの西名阪道でも雪に降られ大阪に戻りました。
大阪もこの雪の純白が汚れのすべてを覆い隠しているかと思いきや、真っ白なのは少しの雪と塩カルで白くなった私の車だけでした。
大阪に帰っての洗車は手が冷たく一度に私を現実の世界に引き戻しました。

後に賢治はこの詩をとし子の死後作っていると知りました。
でも、臨場感あふれるこの詩は私に真夏でも冬を感じさせてくれます。

死んだ母も時々そんな冬を感じさせてくれる女でした。
雪国で生まれ、雪とともに育った母たちだから出来ることなのかも知れません。

もう八十年以上も前のこと、山形県南陽市赤湯でのこと。 母は兄二人、姉二人の下の末っ子だった。 米と果樹で生計を立てる農家だった。

町の顔役であった私の祖父のもとには毎晩たくさんの人が集まったという。
母親を早く亡くした姉妹三人は毎晩の寄り合いの喧騒を耳にしながら隣にある部屋で寝ていたという。
母親は居ずとも三姉妹は仲が良く、末っ子の母は姉二人と並べる布団の中での会話が楽しみだったという。 ある時は長女のするおとぎ話、そしてある時は次女が歴史話を語り、母は自分の将来の夢を二人に聞いてもらい寂しさを感じることもなく夜を過ごしていたという。

凍りつくような寒さのある夜、明るい月の光を障子越しにも感じるある夜、そのあまりの明るさに目の覚めた母は枕元に置かれた三枚の皿に置かれたものに目をやって驚いた。

雪兎がいたのである。

真っ白な雪兎が三つ、三人の枕元に置かれてあった。
月の光で雪兎はキラキラ輝き、赤い南天の眼はジッと母を見つめていたようだったと言った。
三人の世話をするはずの母親はおらず、ずっと不憫に思いながらも何も出来ない祖父が母達のために寄り合いが終わった後、作ったものであった。
雪兎、命の短い雪兎を三人は雪のかからぬ軒下でその冬大切に飼ったと言う。
春の訪れとともに無くなってしまった雪兎だが、母から聞いたその雪兎は今もなお私の心で生き続けている。
母の思い出の話から

『雪兎』、雪が非日常の世界で生きる私はこの目で見たことはない。
母が好きだった写真の丸い猫の置物を見るたびに『雪兎』と重ねている。

寒い寒い朝に冷たい空気といつまでも溶けてしまうことのないこの猫はあの世に行ってしまった母と永訣の朝を私に思い出させる。

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