婆さんの靴下屋
夕方の通天閣を天王寺駅前のこの歩道橋から見やると履きそこなった一足の靴下をいつも思い出す。
子ども達は皆知っていた。そして、大人になると皆それを記憶に残すことは無いのである。
天王寺動物園の裏口から行かなければならないその靴下屋は通天閣に向かう途中にあるよく注意しなければ見落としてしまう古い店だった。ここら辺の子ども達は何も考えることなく皆、時期がやって来るとその靴下屋に行っていた。古い引き戸をガラガラと開けると懐かしい昔の匂いがする。その奥の古ぼけた照明に照らされて婆さんが背もたれのあるパイプ椅子に座っている。そこで必ずこう言わなければならない。「僕だけの靴下をください」「私だけの靴下をください」と。すると婆さんは土間の床をひたひたと冷たい足音をたてて奥に消える。そしてしばらくするとまたひたひたと片手に靴下を持って出てくる。「はい、これは貴方だけのもの」受け取ったら必ず「ありがとう」そう言って店を出なければならない。子ども達はそのまま真っ直ぐに帰らなければならない。決して寄り道をしてはならないのである。子ども達は皆その因果関係を考えない。なぜその靴下屋に行かなければならないのか、みんな同じことをしているはずなのにどうしてその事を誰も口にしないのかも考えない。ただ皆黙ってその靴下屋に行き同じセリフを口にして靴下をもらって帰るのであった。そして子ども達は帰って親に内緒でその靴下を履くのである。そしてその靴下は履いたが最後、決して脱ぐことができなかった。子ども達は一人悩み途方に暮れる。親にも誰にも相談してはいけないのである。そして再び通天閣に向かうのである。いつも婆さんは背もたれのあるパイプ椅子に座っている。新聞や雑誌を読むこともなければ音楽もラジオの音も流れることの無い時間が止まったような空気の漂っている店なのである。そこでまた「僕だけの靴下をください」「私だけの靴下をください」と言わなければならない。すると婆さんはまた土間の床をひたひたと冷たい足音をたてて奥に消える。そしてしばらくするとまた同じようにひたひたと片手に靴下を持って出てくる。「はい、これは貴方だけのもの」受け取ったら必ず「ありがとう」そう言って店を出るのである。なのに誰も聞かないのである。どうして靴下を履かなければならないのか。
でも、どうして靴下が脱げないのかを。子ども達はそれぞれ一人悩み一人考える。
僕は普通の中学生だった。他の皆と同じように誰に言われたわけでもないのに靴下屋に通っていた。中学最後の夏休みにその終わりはやって来た。婆さんは最後の靴下を「はい、これが最後だよ」そう言って渡してくれたのである。「ありがとう」そう言い店を出た僕にはいつものごとくいたずら心が湧き起っていた。謎をそのまま捨て置くことができなかったのである。この日僕はまっすぐ帰ることは無かった。そのまま天王寺動物園に寄ったのである。大阪市内の中学生だった僕は無料で入園し、久しぶりに会う動物たちに順番に挨拶して歩いた。僕は無口なカメ達が好きだった。大きな身体を揺すりながら歩くリクガメ。これまでどれだけ生きて来たんだろう。どうしてこんなところにまで来なきゃいけなかったのか考えながらいつもそばにいた。ライオンやチータを見て親近感をおぼえた。僕の部屋でいつも寝ていた三毛猫と同じ顔をして寝ている。連れて帰りたいといつも思った。大きな鳥たちは苦手だ。急に鳴きだす。ゲージに閉じ込められて本来の飛び方なんて出来やしないその気持ちはよく分かる。鳴いてるんじゃない、こいつらはいつも泣いているんだ。人間の親子連れをはしゃがせる熊たちを尊敬する。楽しいはずなど無かろうに、人間相手に愛嬌を振りまいていた。たいてい猿たちと目で話して動物園を後にした。その日はマントヒヒに呼び止められた。「お前、婆さんの言うこと守れよ」そうヒヒ爺は僕に言った。「なんでそんなことを守んなきゃならないんだい」僕の返事にヒヒ爺は答える。「お前は変わった人間だ。でも人間らしいと言ってやろう」そう言いヒヒ爺はそっぽを向いてそれから僕に目を合わせることは無かった。ヒヒ爺の言葉を頭に残して僕は暑くて誰もいない動物園を出た。駅前のヘンテコな形の歩道橋を渡り自宅に帰った。
帰るとカバンに入れたはずの靴下が無かった。気がつけば履いてたはずの靴下も僕の足には無かった。
それから何度か靴下屋に行ってみたが、店はどうしても見つからなかった。動物園のヒヒ爺も何もしゃべってはくれなかった。不安と焦燥が中学生の僕に襲った。誰も憶えていない、たぶん誰も考えることの無かった靴下屋の婆さんのことを考えていた。
それから今まで僕には何も起こらなかった。
いや、起きるべきことが起きなかっただけなのかも知れない。
動物たちと気持ちが通じていたことはそのうち忘れてしまうかも知れない。
でも、婆さんの靴下屋のことを忘れることは生涯無いであろう。