匂いで感じる秋
昨日歩いているとどこからともなく金木犀の匂いがしました。
今年初めての金木犀の匂いでした。
どこからなのかキョロキョロしましたが分からず、先を急いでおりそのまま通り過ごしてしまいました。
毎年、金木犀の匂いを感じると、あっという間にあちらこちらでその匂いははじけだします。
そして、私に毎年得も言えぬもの悲しさを感じさせます。
夕暮れの田舎道を歩きながら金木犀の匂いを感じれば、古の歌人や俳人の仲間入りが出来るような錯覚を起こしてしまう、不思議な力を持つ匂いです。
匂いが時間やタイミングと重なる時ってありますね。
炊き立てのご飯と味噌汁の匂いは朝、駅前で嗅ぐ焼鳥屋の煙には夕を感じたりするのは私だけでしょうか。
個人差はあるでしょうが嗅覚に訴える共通の匂いをサインとして利用できるんじゃないかなあと思います。
駅前の定食屋や昼時の中華屋から流れ出る食欲をそそる匂いもそうだと思います。
飲食業は、多くの誰もが『そう感じる』匂いを利用して食欲に訴えています。
都市計画の中にもこんな匂いの力を取り入れて魅力ある街づくりってのが出来るんじゃないかと思います。
心に安らぎを与えてくれる匂いの杉木立や竹林の小径があったり、忘れていた何かを思い出させてくれる金木犀の匂いの流れる公園があったりと、多くの人が感じる匂いの公約数を利用した街を作れるんじゃないかと思います。
目に見えない、利益に直結しない営利企業で忌み嫌われるこんな企みは長い時間を基軸に考えるととても重要な事になるように思います。
当たり前の普通の人間を作るためにこんなことが必要なんじゃないかと思います。
「甘い香りに誘われて、あなたと二人散った街」、アカシアの匂いは知りませんが、クールファイブの中之島ブルースは匂いのイメージだけで私の頭の中に札幌を作り出しました。
ついでに一度、私もあなたと二人散ってみたいものだと妄想します。
匂いの持つ力って、案外大きいですよね。
大切にしなければならない五感の一つだと思います。
我が家の老猫ブウニャンは私が開いたイワシの匂いを嗅ぎつけて私の足元で悲し気な目で訴えます。
彼女はいつも食欲の秋です。
そんな元気がまだまだ続いてくれたらいいな、と思う秋の夕暮れでした。