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朝メシを食いながら考えたこと

喪中のハガキが今年はいつもより少なかったように思う。
耳に入って来た訃報も少なかったように思う。
失敬な話ではあるがこんなことの当たり年外れ年があるようにさえ思える。
今年初めに若い頃に世話になった大切な先輩がお一人旅立たれた。
しかし、流行り病でその最後の病床にも今生の別れの席にも伺うことは出来なかった。
この三年間に私が知らないだけで案外多くの知人が他界しているのかも知れない。

母のその際にも同様であった。
二年前のお盆に入る直前、知る限りの知人関係者には連絡はしたものの、寂しい別れの席となった。
母の幼い頃から青春時代を共に生きた新潟県村上市に住む親友トシチャからの手紙が忘れられない。
トシチャは母と同年齢の92歳、その手紙には「また会って話をしたかった。近くにいて欲しかった。すぐに会えるね。」と死んだ母への気持ちが震える手で認められてあった。
ご苦労されて幼少から青春期を生きたトシチャと姉妹のように生きた母だったと後年聞いたことがあった。

生まれれば必ず人は死ぬ。
当たり前のことであって、三食メシを食い、排泄して寝ることと何ら違いはないのかも知れない。

しかし、死んだことで一番自身を思ってくれていた人が誰なのかが分かったりする。
どこに住んでいようが、どんな関係であるかは関係ない。
でもそれを死んだ本人には分からない。
永遠の片思いのようでもある。
でも、トシチャは書いていた「すぐに会えるね」と。

たまたま息子ではあるが、第三者の私にもその熱い思いは真実であると分かり、熱い心は伝わった。

私にもいずれ死が訪れるが母を思ってくれたトシチャのような人が私にはいるのであろうか。
朝メシを食いながらふとそんなことを考えていた。


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