研師(とぎし)ヒデの話 眠り続ける「猫姫」
ヒデは智と別れ、心地よい酔いとともに自室のあるマンションに戻った。そこで待っていたのは自分では決して切ることのできない鯉口から声を上げる団子刺しであった。
団子刺しは鎌倉時代の業物の一刀「八丁念仏団子刺し」である。
智の祖父から研ぎを頼まれ、それが縁で智と付き合いだした。今の世にある刀剣の多くは鞘に納められ人間に決して聞くことのできない声を上げて泣いている。それを聞くことのできる男がヒデだったのである。刀剣は人を斬るためこの世に生み出され、決して美術品としてコレクターの愛玩になったり、博物館で見世物になったりしたくはないのである。
ヒデは抜かねばあとでいつまでもうるさい団子刺しを抜いた。
「お前、いつも酒ばかり飲んだくれて、帰りが遅いんだよ。俺が窒息して死んじまったらどうすんだよ」
ヒデは笑いながら、
「お前は死にはしないから、心配するな。ここが嫌なら智の爺ちゃんとこに帰してやろうか」
「いやいや勘弁してくれ。あんな退屈なところにいたら、俺はボケちまう」
団子刺しは数百年の乱世を生き続け、この見かけばかりが平穏な平成、令和の時代を辟易していた。智の爺ちゃんは剣の心得もある刀剣を愛する人間だが、所詮現代人である。時々、団子刺しを抜き庭で振ることはあっても、それ以上のことは起ころうはずが無かった。
「団子よ、智の爺ちゃんからまたお前の仲間を預かったよ。猫姫のこと知ってるか」
まだ眠りについている猫姫を団子刺しの前に差し出して聞いた。
「猫姫か、若い姉ちゃん預かってきたな。知っとるよ。そいつは俺の仲間だ」
団子刺しはそう言い、知ることをヒデに告げた。
猫姫は幕末を生きた会津藩の武家の娘だったそうである。まだ十二の可愛らしい娘であったという。虎猫、三毛猫を可愛がる優しい娘であったという。祖父母、両親、使用人たちからは「姫、姫、」と呼ばれて猫可愛がりされたそうである。そんな姫たちを待ち受けたのは、幕末に朝敵とされ新政府軍との血みどろの戦いと、そのあと待ち受けた悲劇であった。
猫姫の祖父、父は新政府軍に捕えられて惨殺され、そのあと立ち上がったのは女達だった。会津の女は強い。祖母、母も襷掛けし、刀を携え戦ったのである。しかし所詮は女は女なのである。捕らわれ新政府軍の他藩の男達に祖母までもが慰み物とされたのである。そのすべてを猫姫は見ていた。その狂った歯牙が猫姫にかかる時、愛猫達は男に飛びかかり、しかし無様にも斬り捨てられてしまった。姫は懐刀を抜き祖父母、両親、愛猫達の仇と気丈にも男に向かったがなんなく男に抱きかかえられ薄汚れたひげ面で頬ずりをされたのである。
「そこでな、こいつは自分で舌を噛み切って自害したって話だ。婆さんとおふくろの前でな」
そして続けた。
「戦は人を気狂いにさせる、それが戦ってもんだ。でもそれが人間の本質なんだぞ」
団子刺しはそう言って黙ってしまった。
ヒデは預かった小刀を抜いてみた。小刀ながらも匠の鍛えた剣らしい美しい刃紋はヒデに何かを語りかけてくるようだった。
話しを聞いてみよう、そう思い夜半にかけて研ぎに手をかけるが一向に猫姫は目覚めようとしなかった。
その頃智は辻斬り犯を匂わせる情報をSNSで見つけ、その特定を急いでいた。
そして明け方にヒデにLINEした。
「ヒデさん、見つけたよ。辻斬りの犯人」
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