冬来たりなば
肌寒くなった夕暮れに母に手を引かれて自宅に急ぎ帰ったのは昔日の思い出である。
そんな時間をこの瞬間だけに思い出すのである。
またそんな時期がやって来た。
冬はいい、冬の次には必ず春がやって来る。
そんな当たり前の四季の冬はいい。
そして私は人生における冬がいいのである。
この冬は越せばいつでも春が待っていてくれる。
一足飛びに夏や秋が待っていてくれるかも知れない。
でもその冬は長くて辛く暗い毎日かも知れない。
でも、その冬に耐えれるのはなぜであろう。
冬来たりなば、なのである。
一度耐えた冬は私を強くしてくれた。
強くなった私を迎える春はその温かさと抱擁力を増して私を受け入れてくれた。
そして今、次の春、次の季節を迎えるために私は冬に自ら向かう。
その頃私は心でものを見ることができ、夕焼けは赤く迫り、来る夜は黒かった。
生きるという目的を強く意識することはなく自分のする息を数えることのできる頃であった。
生きる過程での冬など知らぬ頃であった。
今ある自分を不思議に思う。
今ある私の存在を不思議に思う。
今ある私を作り上げたのは冬だったのである。
気がつけば冬だったのである。
朝起きたら冬が来ていた。
また来たな、と私は目覚め迎え討つのである。
いつでもやって来る冬と過ごすこんなルーチンが私の人生なのである。
決して負けない私がここにいる。
この私を作り上げたのは冬である。
近鉄八尾の高架下で見つけた焼鳥屋。
今風のオシャレな店構えではない私好みの焼鳥屋。
丁寧な仕込みがいい、うるさくない綺麗な店内がいい。
ビール一本、酒一合、甘い玉ネギ、串三本、久々に美味い鶏皮に出会った。
「そろそろ手袋がいるな」と思いながら交互にポケットに手を突っ込みながら八尾の夜道を自転車で自宅に向かった。