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朝の私の時間

何年振りだろうか。豊橋の喫茶店でモーニングを食べた。
大阪では止んだ雨が、豊橋ではまだ本降りだった。障害者支援施設にいる兄への月一度の面会、コロナがあってからずっと予約制となっている。以前は兄の部屋に直接行けたのだが、今まだその制限も継続中である。早朝、と言っても私の早朝は丑三つ時、目が覚め完全に覚醒してしまいそのまま知り合いへの手紙、葉書きを書いていた。そして、予定よりだいぶ早く家を出て豊橋行きの一番の新幹線に乗ったのである。

豊橋のホームではもう晩秋を思わせる冷たい雨、高校を卒業して魚市場で働いていた頃を思い出した。汗で蒸れるヤッケを脱ぎ濡れて昼まで働いた。何も考えずに働いた。社会の小さな歯車である私の肉体労働は幾ばくかの金に変わり、それをポケットに午後は豊橋の街にいた。好きな書店で好きな本を買い込み小脇に抱えていつも行った喫茶店である。店は時間の経過を感じさせた。マスターは老い、店の調度の風合いも私がここの人間ではなかった長い時間を教え一度に多くのことを思い出させる。ぶ厚いガラスの重いドアを開け、入る喫茶店にはいつも罪悪感を持っていた。今思えば考えることなどないのに、静岡に入院する兄に申し訳なく思っていた。落ち着かぬいつもの時間を過ごし、陽が傾き出すと縄のれんをくぐりカウンターの席についた。十八歳の私は生意気に見えただろう。本を開き、ビールを飲み、酒を飲んで煙草を吸って自宅に帰った。

豊橋の思い出はそこで途切れる。二十歳で上京、大学に入り、就職して思いもせぬ関西に居を持ち今に続く。なんでこんな無駄な時間と金を費やすのだろうと先の見えぬ二重生活を切り上げて、豊橋に帰ろうと思ったことは何度もある。しかし、そうたやすくいかぬのが人生である。会社で泥にまみれ、家庭で涙に明け暮れ、そのたびに自分の免疫力が上がるのがわかった。歳を重ねるごとに手の皮は厚くなり、歳を重ねるごとに面の皮は厚くなり、能面のような自分の顔を鏡で見る。生きることは耐えることであり、耐えることはただただじっとして時間をやり過ごすことだと思う時期もあった。

この歳になって、いつもの喫茶店に座り深く安堵を覚えた。時とともに変わるものがすべてと思って生きていたが、変わらぬ空気に一粒涙が落ちた。でも兄が私より先にいなくなってしまえば、ここに私が来る必要性は皆無となる。そう思うともう一粒涙が落ちた。

豊橋で朝、コーヒーを飲む。気がつけばモーニングが出てきた。忘れていた豊橋の喫茶店での朝の儀式であった。秋雨の高い湿度が固化させた塩のガラス瓶をふれば、マスターが気にかけやって来てくれる。変わらぬ優しいマスターであった。
私がこの街に帰ることは無い。兄が生きている限りの通過点でしかない。そう思い勘定書と小銭を握り店を後にした。
冷たい雨は止むことはなかった。

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