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名もないおかず

場所は中国四川省の省都である成都の近郊、趙家は鍛冶屋を生業とする貧しいが明るく毎日を過ごす一家であった。
一人息子の周明は母親思いの優しい子どもであった。
鍛冶屋の手伝いをしながら毎日の三度の食事の支度をする母親の苦労を知っていた。

腕は良いのだが酒に溺れがちの父親の収入では食べ盛りの周明に満足いく食事をさせてやらず母はいつも心を痛めていた。
周明はそんな事も承知であった。
ある日周明は近くにある山で青々とした草を野生の鹿がうまそうに食べているのを見つけた。

そしてきっと人間が食べても美味しいに違いない、母さんに持って帰ろうと心に決めた。
しかし鹿はなかなかその場を離れない。
よっぽどうまかったのだろう、鹿がいなくなった後には青々としていた葉は一枚も、みずみずしい茎さえも残っていなかった。

あきらめきれない周明は残った茎の根元を掘り起こしてみた。
するとどうであろう、他の草とは違うしっかりした太い根がそこにはあった。
あれだけ鹿がうまそうに食べていたんだ、根もきっと美味いに違いないと信じ、周明は出来るだけたくさん掘り返して家に持ち帰った。
途中、川できれいに洗って母のもとへ運んだのである。

母は周明の行為にひどく感動して冷蔵庫にあった消費期限の近づいた豚コマと薄揚げを使って豆板醤とオイスターソースを使って炒め合わせてくれたのである。
もちろん紹興酒も忘れなかった。

そして親子三人で楽しく夕食を共にしたのは言うまでもない。

『名もないおかず』である。


どの家庭にも『名もないおかず』ってのがあると思う。

そんなのがおふくろの味だったりもする。

野菜が中心であり、あわせの物と炒めたり、煮たりと簡単に出来る特に名も無い茶色かったりするおかずってのがある。

そしてそんなのが美味しくご飯を進めたりする。

私の住む八尾に名産の『若ごぼう』がある。近所の農家の山本さんが毎年食べきれないほどの若ごぼうをくれる。
「家内と二人で食べきれないからもらってくれ」と言ってくれる。
多分私も女房と二人きりです、と言ったはずなのだが、、、

毎年まだ冷たい早春の風が頬をかすめ、指先はまだ冷たい水で感覚を無くしながら外の洗い場で泥を落とし、キッチンで二時間ほどかけて葉と茎と根に解体しながらさらに丁寧に洗う。
手間のかかる下処理である。
そして、調理。
我が家の『名もないおかず』であった。

もうすぐ三月となる、もう冬は終わったのか。

寒くない夕が暮れつつある。


周明たちが食べ損ねた葉っぱのキンピラと茎の煎り付け、これが八尾のお母さんの味なのか、たまたま八尾にいる流れ者の私には定かでない。

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