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熱い酒と熱い肴、温かな飯と温かな汁物、

「まあ飲めよ。」
先にテーブルにいた先輩は私に熱い酒を勧める。
「まあ食えよ。」
先に頼んでくれていた暖かい焼き鳥を私に押し出す。

もう30年以上も前にこんなやり取りがあった。
京都は伏見の中書島ちゅうしょじま、造り酒屋の藏があり、その昔は水上交通の要所でもあり、遊郭もあった中書島。
あの寺田屋もほど近く、かつては坂本龍馬も闊歩していた歴史ある街なのである。
そんな面影だけを残すその街に先輩は単身で生活をしていた。
会社が傾くまではノンプロの野球もバスケットも強く、誰もが知る会社だった。
野球部を引退して営業に転身した先輩は京都に大きな物件があることと、京都出身ということで京都に来たようであった。

入社二年目、まだ事務担当の私は低姿勢で生意気だった。
今なら黙ってみているだろうが、営業所の上司の事務課長が会社の小口資金で酒を飲みに行くのが気に食わなかった。それに部下を付き合わせるのが気に食わなかった。そして、それにいやいやついて行く自分がもっと気に食わなかった。
長く会社に勤め仕事一筋、結婚もしない経理担当の女性を平気でいじめることの出来る嫌な男であった。

ある晩、それとこれとをぶちまけて飲み屋の席を立ったのがいけなかった。
私が切れれば危険な男だと承知の上司は直接ものは言わないで、陰湿ないじめが始まった。

そんなことがあるだろうとは思っていたが、楽しい日々は待ってなかった。
私のそんな姿を見て、営業部長のその先輩は帰り際に「待ってるぞ」小さな声で呟いて先に帰っていくのであった。

いつもニコニコと「お前はバカだなあ。」と頭をワシワシつかまれて元気づけられたのであった。

熱い酒と熱い肴、温かな飯と温かな汁物、
それだけあれば言葉はいらないかも知れない。

言葉以上に熱く伝わるものはある。
言葉の限界を感じる時がある。
言葉以上の伝達手段に長ける人を羨ましく思う時がある。 

でも一番は無意識なのかも知れない。
見てくれを考えずに起こす行動、人の知らない中で続ける行動。
そんなのが一番感動的で美しいのだろうと思う。

いろんなことがあった。いろんな事が起きている。
そして考える。そして人は成長する。
それでもうまくいく事が全てじゃない、だから時には温かなものでねぎらってやりたい。

そんなふうに思うようになったことを歳を決して歳のせいだけじゃないと思いたい今日この頃なのである。

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