コインロッカー係の休日
コインロッカー係の仕事の休みは不定期だ。盆正月、ゴールデンウイークや一般の休日にトラブルが多い。そのため平日の休みが多い。
だからというわけではないが、平日大阪の街をウロウロし、昼間から一人酒を飲むこともある。
先日の休み、気が向き難波の街に出かけた。難波でいつも最初に行く店は決まっている。高島屋前から歩いて五分ほどの料理の専門書をたくさん置く『波屋書房』である。専門書ばかりでなく、料理や食べ物関係の随筆や小説を集めたコーナーがある。涼しい書店内で至福の時間をしばし過ごし、まだ日の高い暑い午後である、地上を歩くのをあきらめて地下にもぐることにした。
大阪の地下街はほとんどが大阪地下街という、もと大阪市の三セクの会社が経営している。今は旧大阪市営の大阪メトロや大阪の私鉄各社が株主となっている。どの地下街も旧大阪市営の地下鉄駅と直結しているから当然と言えば当然である。
なんばウォークをぶらぶら歩き男は生まれて初めて大阪に来た時のことを思い出していた。50年も前である。持病持ちの兄の診察で阪大病院まで家族四人で来た。診察の時間に男の父親は、退屈する次男である男を不憫に思いこのなんばウォークに連れ出したのだ。ほんの一時間ほど生まれて初めての地下街だった。軽い食事をしておもちゃ屋に寄り好きなものをなんでも選べと言われ本当は金属製のモデルガンが欲しかったのだが、そうは言い出せず一番安いプラスチック製のピカピカの拳銃を買ってもらった。保安官の星型のバッジも付いていた。長く男の部屋に残っていたのだが今はもう無い。
男には何かと哀愁漂うなんばウォークなのである。日本橋駅付近まで歩き風通しの良いこざっぱりした店に入った。初めての店である。いつものように生ビールと冷奴、この冷奴で男は初めての店の値打ちを決めるのである。可もなく不可もない冷奴。でも出てきたビールがプレモルだった。失敗だった。男はプレミアムモルツが好みではないのである。
ビールを飲み干して相合橋筋の正宗屋に向かう。正宗屋の鯛の子を固めて上に蟹味噌を塗りカステラ状にした『カステラ』をアテに熱い日本酒が飲みたかった。
その途中、地下街のトイレで用を足した。ここのトイレが不思議である。地下街であるのにトイレはまた地下に降りるのである。
そこには散髪屋があり、その向かいに左右に男女振り分けてのトイレの入り口がある。
そして、そこには空きスペースを利用して以前は無かったコインロッカーがあった。旧式のカギ対応のロッカーだった。商売柄気になる男はおかしなことに気がついた。
通常ならばロッカーは使いやすい胸元か目線あたりの高さのロッカーから使用されていく。なのにここのロッカーはそんな高さは未使用で、一番嫌厭される最下部のロッカーが使用中となっていた。
男は考えた。そもそも地下街のこんな場所のコインロッカーをどんな人間がどんな場面で利用するのであろうか。男の想像もつかない世界とその住人のためのコインロッカーなのかも知れない。最下部という事は、ロッカーに預けられているモノはかなりの重量物なのかも知れない。歓楽街で一晩身を投じて商売する女がトイレで身支度し、道具一式をこのロッカーに預け入れているのかも知れない。いやひょっとしたらそれは男かも知れない。いずれにしてもあまりに哀しいコインロッカーである。JR、私鉄、地下鉄と人の移動とコインロッカー。移動する人はコインロッカーに何を求めるのか。想像もつかない人生の凝縮を男はいつも想像している。
地下街から出て男は強い紫外線を感じ夏の到来を思った。そして正宗屋は定休日だった。水商売の昔気質の大阪の飲み屋の中にはこの水曜休みにいまだにこだわっている何軒かがある。
男はそんな事もこの二年間の自粛生活で忘れていたのである。
ああ、歳を取ったなと思いつつ、次の店に向かった。
🍙ここまでの話はマガジンでどうぞ。
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