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私がのぞむ秋のおとずれ

流行り病でどの業界も大変だが、化粧品の業界が大変だとずいぶん前から聞いていた。
女性の話題であり、あまり意識したことはなかったが考えればなるほどな、である。マスクで化粧品が売れないそうである。極端な話、顔半分マスクで隠れた部分は生まれたままで構わない。これは女性にとってはかなり画期的な事なのではないのだろうか。
でもメーカーにしたらたまったものじゃないだろう。
こんなふうに私の知らない業界でもニューコロナの悪影響がボディーブローのようにじわじわと忍び寄っていたのであろう。

ゼネコン京都営業所時代にある化粧品メーカーの子会社の研究所兼工場建設のお手伝いをさせてもらった。土地を探せば特命の仕事だとのことであった。
こんな時いつも私はまずは自分の足で探した。プロである不動産屋さん達からも情報を集めるのだが、その業種、用途に最適な場所を狙い歩いた。そして目星をつけて法務局に行き所有者を調べた。当時の法務局はまだ電子化されておらず紙の登記簿はわりと調べ放題だった。そしてその所有者情報を持って京都の老舗の不動産会社に走った。今も個人的にお付き合い頂いている役員にお願いした。あんたはいつも無理を言うね、と言いながらいつも話を付けて来てくれた。

京都は不思議な土地であった。私の知らない情報網やルートがあるようであった。その土地を気に入ってもらい、無事に建設工事も終わり、本社から出向していた若い社長に大事にしてもらった。祇園のクラブに連れて行ってもらい、銀座のクラブにも連れて行ってくれた。ある意味まだ良い時代であった。考えれば女性が顔半分隠さなくともよい時代、化粧品も今の倍売れていたのであろう。いろんな要因で変化する時代、玉突きで変わる先を考えるのは面白いものである。

さて、宣言は解除となり、普通の生活を目指して世の中は動き出した。
しかしながら、〇〇を済ませば、大丈夫だという相手ではない、この先も心して生活しなければならないと思う。
この note で『ウイルス以前に社会性が退化してしまう』ことが怖い、と表現されてる方がいた。なるほどな、その通りだなと思った。
世の中には無駄が育ててくれた知育や、生きる力があった。
そんなことがあってこそ、厳しい人生のなかにもゆとりや遊びの心が生まれてきたように思う。だから無駄まで一緒に排除されることがないように一気にもとに戻さないほうがいい。

干し鱈を水を取り替えながら、徐々に塩抜きして戻すように時間をかけて欲しい。
そして、皆が美味しいと顔をほころばせてくれる甘辛い煮つけを作るようにコトコトと時間をかけて煮て欲しい。

夜長の秋がやって来た、それくらいの心の余裕を持って事に当たってもらいたいものである。

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