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トラの『耳ぽっち』 第二夜

人の世は難解である。
私たち猫の世界もそうかも知れない。
同じ親から生まれてきても、偶然だけで野良か家猫に分かれていく。
でもどちらが幸せかは私たち次第なのである。

この男、合気道を始めてもう40年も過ぎている。
武道の最終目的は『戦わずして勝つこと』と教えられてさっぱり意味が分からなかったそうな。
でも最近は『戦わないこと』と言い出している。
究極の目的は人を殺すことであり、ただ極めればそれがバカげたことと気づく、この男は極めるにはまだまだなんだが、多少は学習したようである。
40年続けてきてよかったな、と言ってやりたい。

人を教えることは自身を磨くこと、これは教師も同じであろう。
この男の兄貴に私は以前可愛がってもらっていた、本当に猫可愛がりだった。
望まずして生まれる時に取り返しのつかない障害を負わされてしまった。
両親は当時の障害児の施設をそれこそ日本中見たそうだが、安心して兄貴を生活させる場所はないと判断して、ずっと家で面倒を看てきた。

当時の小学校も中学校も先生次第だった。
小学5、6年の担任が最低だった。
兄貴のてんかん発作の後にはしばらく放心状態が続き、失禁することもあったそうな。
でもそれは病気の一症状、仕方ない事であり、尿の失禁ぐらい小学生の低学年ではまま見られることでそれが6年生だとしても大騒ぎすることではない。
それを直接両親に伝えずにすべてを一学年下のこの男を呼びつけて他の小言まで含めて言ってたそうな。
なんとも出来の悪い女の教師だった。

しかし、この男、バカというか何というか一言もその告げ口のような小言は両親に伝えなかった。
溜まりに溜まったけれども我慢していた。
心配事を増やしてやりたくないと思っていたのだ。

でも、賢いお母さんは気付いたみたいだ。
この男、問い詰められてすべてを話したんだ、結局は。

やはり、お母さんは悩んだみたい、そして行動した。
台湾の友人から譲り受けた翡翠のネックレスを持って兄貴の担任に会いに行った。
それから一年間、当時流行っていた高価なローヤルゼリーのサプリメントを卒業前まで送り続けた。

それからは、手のひらを返すかのようだったそうな。
お母さんは戦わずして勝ったんだよ。

これが人の世、この男はそんなふうにして学習していったそうな。
人の世は難解である。

私は猫に生まれてきてよかったとつくづく思う。


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