今年も餃子で始まる『立ち飲み屋〇(マル)の話』~生きるために食う~
飲み屋の仕込みに年末年始は関係ない。酒を切らさぬよう年末に多めの酒とビールをマルはストックしておいた。配達の若い子ショー太が可哀そうなのである。まあまあ計画なしに年末年始を迎える店は年明けにたくさんの発注をする。
配達の人数が年末年始だからと言って増えるわけじゃない。ショー太は一人でてんてこ舞いで配送をしなければならないのだ。そんなことは言われなくとも考えればわかるマルは年末に発注を済ませてしばらくショー太が来なくてもいいようにしておいた。
「あれっ」とトラックのエンジンの停止音を耳にしたマルは不思議に思っているとショー太が元気な顔で「マルさん、おめでとう」と入ってくる。手には白紙に包んだ一升瓶を持っている。
マルは「どうしたの、注文してないのに」
ショー太は言う。年始にマルさんの顔見なきゃ仕事は始められないと。
それに大将から大事な客だから祝い酒持ってけって言われたんだとも言う。
なんとも嬉しい話であった。また一年悩みながら一人仕事をしていかねばならないと考えていた矢先に飛び込んできたショー太であった。
「ショー太君、5分だけ待って」と言い、マルは鍋に給湯器の湯を張って強火にかけた。マルはその時包んでいた餃子をショー太に食べさせようと思ったのである。
「マルさんの気持ちありがたいよ。俺なんか正月も母ちゃん介護の仕事に出ずっぱりでろくな物食ってないんだ」
まだ二十歳になっていないショー太の家の事情をマルは薄々感じていた。ショー太のそんな気持ちを聞けてマルはなんだか嬉しかった。
湯が沸き上がると包んだばかりの餃子を十粒、マルは鍋に放り込んだ。
「ショー太君、そこに立って」とマルは目の前のカウンターを指差す。そしてすぐに丼に一杯になった水餃子を差し出した。
「時間が無いでしょ。しょう油とラー油を直接かけて食べなさい。あ、お酢もね」
ショー太はいただきますと、二十歳前の男には見えない無邪気な笑顔で丼に箸と顔を突っ込んだ。うまいうまいと熱い熱いを交互に言いながら、ショー太はあっと言う間に平らげた。
「二十歳になったらお酒を飲ませてあげるからね。今年も頑張って仕事してね」
肉体労働で鍛えられた金髪のショー太は黙っていれば「寄らば斬り捨てる」の雰囲気を持つ男であったが、マルの前では可愛らしい十代の青年だった。
身体も心も温めて「はーい」と返事して、ショー太は初仕事に出かけて行った。
ショー太のトラックが遠ざかる音を聞き太郎が部屋から降りてきた。
マルの一人息子太郎は中学2年になる。入学式に行ったきり、太郎は学校に行ってない。
「少し早いけど昼ごはんの用意するよ。メイちゃんもそろそろ帰ってくるから」
メイは太郎より一つ年上の女の子、研師のヒデに頼まれて預かっている数奇な運命のなか生まれ生きて来た戸籍の無い女の子だ。
実の父とは知らぬ父親を目の前で惨殺され、血の繋がることを互いに知らぬタケ婆さんは認知症で介護施設にいる。そのタケ婆さんのところに毎朝通い身のまわりに世話をし女としての矜持を保たさせて、朝飯を食べさせてくるのがメイの日課になっているのだ。
狂乱していたとはいえ、妖刀猫姫に食い殺されたのが自身の父親で、毎朝顔を合わせるタケ婆さんが実の祖母であると知った時にメイはどう思うのだろうと考えるとマルに気の休まることは無かった。
でも、今考えても仕方ない、今は前を向いて生きて行くしかないんだといつも自分に鞭打つのであった。
「母さん、」気がつけば太郎はカウンターにスツールを持ってきて座り、考え込むマルの顔を見て口を開いた。
「え、なに」そう答えるマルに、
「僕、学校に行こうかと思ってる」太郎はそうつぶやくように言った。
「えっ、」と驚くマルに
「メイちゃん見ててさ、」
「えっ」
「僕って幸せだったんだなって思えてさ、母さんいてくれていて幸せなんだなって思えてさ、なんだか何かやりたくなってきたんだよ」
寝耳に水のマルはまだボーッとしていた。
厳しく異常な幼年時代を過ごしてきたメイは自分の置かれた立場もこの先の決して明るいばかりではなかろう状況も理解しながらひたむきに前を向き
生きている。その姿に太郎は影響を受けていたのであった。
その時にガラガラと店の戸を力強く開けて入ってきたのは太郎の担任の墨田麗と一緒に帰ってきたメイだった。
「マルさん、太郎君、明けましておめでとうございます」墨田麗はマルの店に入るとレイに変わる。
異性を愛することができない30手前の熱血女教師は、マルと酒が大好きな可愛いレイに変わるのである。
「マルさんのお店で久しぶりにお酒が飲みたくって、やってくる途中にメイちゃんと出会ったの」仕込み前の立ち飲み屋に自分が休みだからと言い乱入するレイを自分の都合だけを言う我が儘な気がしないこともないが、まったく憎めないキャラだった。
「マルさん、たくさん餃子茹でてみんなで昼ごはんにしよう、ついでにお酒も飲んじゃおう」と店主をグイグイ誘導するのであった。
誰しも悩みを抱えて生きている。顔に口に出さずに抱えて生きているだけなのである。
生きている限りは前を向いて生き続けなければならない。マルはそう自答し、メイとレイ、そして太郎の強さを思った。
そのためには食べなきゃならない、生きるためには食べなきゃならないと思ったのである。
その後、身内の宴会は始まり、太郎は恥ずかしそうにレイに復学を告げた。
「じゃあ、乾杯だ!」と一人杯を空けるレイは途中から泣き出し、太郎はそんな先生を見てはしゃぎ、マルはひたすら餃子を茹でた。
メイはカウンターの隅でコップの水に差し込む昼の陽をのぞき込みながら頬を緩ませていた。メイが初めて笑った顔をマルは生涯忘れないであろう。
マルに幸せを運ぶメイの笑顔だった。
マルは幸せであった。そして幸せな未来を予感することができた。
正月休みの明けた月曜日、これから普通の日々がまた始まる。
『立ち飲み屋〇(マル)の話』はここから続きます。
メイの生い立ちはこちらで