弁当を作るはなし
食べることが好きである。
作ることが好きである。
二つはセットだと思っている。
一時期自分で自分の弁当を作っていた。
サラリーマン時代の話である。
建設業界の営業マンはひとたび会社を出れば外で何をしているかなんて分かりはしない。
期末の成績さえ上げれば文句を言う人間はおらず、誰一人として困る人間はいない。
私は夜ばかりでなく、外でお客さんと昼メシを共にすることも多かった。
でもこれを続けてしまうと昼も夜もカロリー過多でデブになる。
なんだか分からないが、体調も良くない。
実はなんだかの原因は分かっているから、ある時期弁当を持って会社に向かうことにした。
昼は必ず会社にいるようにした。
朝、二日酔いのまま米を研いで炊飯器のスイッチを入れて、冷蔵庫から材料を取り出してから、顔を洗い、目と酔いを覚ます。
コーヒーを淹れて飲みながら料理にかかる。
玉子焼きや炒め物、時には冷食、簡単なものばかり、自身のだからそれでいい。
似たようなものばかり作るから似たような材料がいつも冷蔵庫に並んでいた。
玉子、ウインナー、パスタ類、魚、時々肉、あとは缶詰、野菜など
(ここに蒲鉾、ちくわ類の魚の練り製品は無い。育った豊橋には美味しい練り製品がたくさんあった。職業婦人の母ハルヱは時短の手段として私と兄によく練物を食べさせた。たぶん生涯にカラダに取り込む許容量に達したんだと思う。もう食べたくない。)
弁当箱はいくつも買った。
ステンレス製の少し大きめの弁当箱らしい弁当箱も買った。
たぶん、死ぬまで使えるだろう。
料理の良いところは無心になれるところだと思っている。
絶えず仕事のことを考えていたから、こんな時間は新しい考えや閃きを生んでくれることがあった。
とりあえずなんとはなしに心身共に健康になっていく。
余ったオカズで、朝食を済ませ、シャワーを浴びて身支度を整えて家を出た。
今は家にいることが多い。
部屋での仕事のために、また弁当を作ろうかと思っている。
生活のリズムを作るのと、体調を整えるためだ。
カラダの続く限り夜の仕事もして、週末は合気道の稽古に向かい、そのほかは部屋に籠るつもりである。
部屋に籠るのに良い時期となって来た。
自分の部屋で弁当、時にはカレーや、牛丼でも、、
ギョーザもいいかな。
母ハルヱは夜勤明けに若い看護師達を連れて終夜営業のラーメン屋に寄って帰り、買ってきたギョーザとご飯だけを弁当箱に放り込むこともあった、時々豪快な人でした。
そんな時、母はいつもビール臭かったですね。