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LL(ロングロング)長屋の日常、ハルとイフ 二人の花見

現在からまだそう遠くはない未来、日本のある地方都市での日常である。
LL長屋はループ線上を24時間止まることなく走り続ける回るアパートである。破壊された環境下、世界の居住区域は非常に限られていた。そこで始まったのは居住可能な限られた地域での地上の高層化と地下で複層化された居住空間の超高度利用だったのである。地上を走るループラインの高架を高層化させ商業区域と居住区域に分け、それでも足らぬ部分はその上を走る列車の2階部分を居住エリアに変えたのである。しかも1週20㎞のループライン一杯に車両をつなぎ並べて本当のループラインにしたのである。
このループラインにはさまざまな人たちの生活があった。
さまざまな人たちの人生があった。

ハルが口にした『早春』、こんな言葉にイフは反応し、微量ながらも身体中に巡らせられた回路に電流が多く流れるのを感じた。
ハルは知らない。この世に生まれてずっとイフはこのLL長屋の看護・介護アンドロイドとしてずっと歩き続けた。そして、新しい認知症の患者を見つけてHaw(ハウ)※1に報告することがもう一つの任務だったことを。
イフが送る管理データは破綻しかかっていたこの世界をぎりぎりで維持していく人口調整に必要なものだったのである。

そんな業務用アンドロイドであるイフにハルはいつも子に対する親のような接し方をしていた。日々育つ子の成長を確かめるかのようにハルはイフに話し、教え、問いかけたのである。
イフは年中ハルの編んだ帽子を手離すことはなく、今ちょうど5着目の毛糸の帽子をハルにかぶせてもらたところであった。
編み目の合わなくなった帽子に気付いたイフは余計なことは言わなかった。
「ハルサン、サクバンハグッスリオヤスミニナレマシタカ?」
「そう言えば、夜中に目覚めてずっと星空を見ていたわ」

認知症の初期の睡眠障害がハルには現れていた。イフのセンサーは感知しデータを即座に記録したが、Hawに送信することはしなかった。すればそこからカウントが始まり360日でイフはハルと別れなければならない。イフは自分のした行動をどう分析すればいいのか分からなかった。イフはHawに背いたのである。ただ、イフ達にはその『背徳』という行為まで学習させられてはいなかった。為政者たちにとってアンドロイドの人間に対する『背徳』なんてこれっぽっちも考える必要の無いことだった。パーフェクトに言うことを聞き命令を実行する従順なロボットだったはずであった。

イフの5つ目の毛糸の帽子は5度目のショートサーキットを起こした。新しい毛糸の帽子をかぶせてもらうたびにイフは進化していた。
そして、ハルのデータの送信を止めたその時に、よく分からないが機械である自身の身体のどこかに熱い何かを感じたのである。そして、その時イフはアンドロイドの領域を凌駕してしまっていたのである。


ハルとイフのお話はここでおしまいです。
この先には、誰でも想像できる悲劇が最終的に待ち受けます。
死を避けることのできない人間と、死を知らないアンドロイドとどちらが幸せなのでしょうか。こんな議論が近い将来に起きるのかも知れません。新たな多様性の問題となっていくのかも知れません。
いつの日か私は人工知能を持った女性型アンドロイドに恋をするかも知れません。このSNSの現実社会のなかでも仮想の恋は現実の恋に進化することだってあります。なんでもありの世界がこの先に待ち受けているとしたら、長生きしてみようかなって考えてしまいます。

イフがハルに言います。
「ハルさん、花見に一緒に出かけましょう。ハルさんがご主人と見た川沿いの桜の花を僕にも見せてください。ハルさんと一緒に行きたい、一緒にいたいです」と。
イフは室内用に作られたアンドロイドでLL長屋の廊下の充電エリアから離れてしまえば、48時間でその機能は停止してしまいます。でもイフはハルを背に負ってLL長屋を出ます。
イフの背にもたれるハルは言います。
「イフちゃんなんだか温かい。昔、こんなふうにして誰かの背中に頬を合わせていたわ」
イフも自身の身体中が異常な電流の流れによって温かくなっているのが分かっていました。でもそれが、どうしてか分りませんでした。
それは実は愛であり、幸福だったのです。
イフは満開に咲く桜並木の続く中川沿いを管理区域を出て歩き続けていました。
そして、その頃ハルは息を引き取っていました。幸せのなか天寿を全うしたのです。
イフは力の続く限り夕陽に向かってどこまでもどこまでも歩き続けました。
二人はいつまでも一緒でした。

=ほんとにおわり=


たぶんこんなことはあり得ない。皆さんが思うように私もそう思っています。でも、未来の夢や希望を捨てたくはなく、誰もが予想するような未来を待ちたくはありません。
成るようにしか成らないこの現実の辛酸をずいぶん舐めさせられてここまで生きてきました。だからこそ私はお気楽な夢想家なのです。
ハルとイフの軌跡は実はすべてをHawに傍受されていたかも知れません、為政者側の優秀で善良な科学者が実験として二人の思うがままにさせて、残ったデータをこの先のより良い社会づくり、アンドロイドと共生できる社会に役立ててくれたと私は信じたいです。
決して地球征服を企む悪の科学者じゃなかったと信じたいです。

LL長屋には、そこで生きる多くの人の人生と多くの物語があります。
ハルとイフの話はその一つ。働かなくともよい社会には無味な空気が蔓延していますが、人間は何かをするために生きているんですね。
まだまだいろんな『生』が日々展開されています。


※ここから続いています。


言葉の補足
※1 Hawは厚生省(Ministry of Health and Welfare)のことである。かつてあった厚生労働省は、労働の無くなったこの世では再び厚生省に戻ったが、誰も厚生省という昭和に生まれた呼び名を呼ばなかった。

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