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幸せの基準
猫の話で恐縮である。
中にはお好きでない方もいらっしゃるだろうがご容赦いただきたい。
我が家で共に生活していたトラの青年時代を彷彿させる野良らしき猫と近所で出会った。
わりと肉付きはよく身体も大きめでどこかでエサをもらっているかも知れない。
ケンカが強いのかも知れない。
などと考えながらこいつと目で会話をしていたのだが、ふと思った。
飼猫と野良猫のどちらが幸せでどちらが不幸なのかと。
私が猫に成り代わり、両者の立場から考えればそれぞれの説が成り立つ。
一般的に考えれば寝る場所も食べ物もある飼猫の方が幸せだと思うが、野良猫の立場から考えればその自由さは捨て難い幸せであろう。
でも、またふと思った。
私の考えは余計なお節介であると。
猫たちは互いに両者の世界を知る余地はない。
それしか知らない中、おのおのがそれなりに幸せにやっているんだろう、だから考える必要はないこと、と。
人間も一緒であろう。
兄貴のような生まれついての障害を持つ人たちも不幸は感じていないのかも知れない。
あんがい私たち第三者がおせっかいの不幸を作り出しているのかも知れない。
兄貴は「ほかっておいてくれ」と、言うかも知れない。
立場で幸せの基準は変わってくると思う。
人間の手で作ってしまった不幸の中にいない限り、どんな人間もみな幸せなのかも知れない。
だから、余計なことは考えない方がよいと猫を見ていて思った。
コロナでまた面会禁止の兄の施設、このゴールデンウィークに愛知まで会いにに行かなくともよい大義名分に安堵する自身を幸せと考えるのか不幸せと考えるべきか、ふと思った。