いつもの夜道で考えた事
今日は私のとりとめもない話にお付き合いいただければ幸いです。
夜によくコンビニに行きます。目的は文書のコピーやスキャニング、プリントなどの作業場所になっています。親父のお下がりのコピー機があったのですがトナー代がバカにならないのと、最新だった機械がだんだん古くなっていくことを考えるとたまに入れ替わるコンビニの最新のマルチコピー機は非常に優秀です。
帰りに時々缶チューハイを買って飲みながらフラフラと、昨晩は涼しさを感じることの出来る夜道をきっと猫たちが出てきているだろうと思い歩きました。歩きながらいつもいろんな事を考えています。昨日の夜道ではGoku住職の記事の「芽生(めい)のミョウガの想い出」から死んだ親父を思い出していました。実家の庭のちょうど陽が当たるような当たらないような場所に大事にミョウガを育てていました。間引きをしないので私に送られて来るミョウガのいくつかの衿の間には土が入っていました。花穂の伸びたミョウガもあり花穂はクリーム色だったように記憶します。面倒くさいと思いながらいつも私が洗っていました。涼しい香りが広がる作業でした。
朝は涼しい茗荷の子 山頭火
ここで話は変わります。私は最近、新しい人の出会いの場所を見つけました。その場所は今はまだ内緒です。誰もが聞けば「なるほど」と思う場所です。
ほんの20年ほど前の iモードの登場で世の中は激変し、誰もが気軽にインターネットを利用できるようになりました。SNSの世界で人と出会い、付き合いが始まり現実の世界にまで続く、そんなことはあり得ないように当時の私は思っていましたがまったくそんなことはありませんでした。この note の世界でも長くその人の書く文章や、描く絵、撮る写真を見ていればその人がどんな人かが分かって来ます。何年も自分を偽って続けるにはよほどの才能と能力が必要です。悪いヤツはしばらく静観すれば分かってきます。そう考えれば私たちの日常生活における人付き合いよりも楽なのかも知れません。
私が見つけた新しい出会いの場所はもっとアナログでほぼ現実に近い世界です。
人の五感のうち、視覚(が全てではないでしょうが)を中心とするSNSの世界。でもどうでしょう。リアルな日常では相手をより感じるには五感のうちの視覚を除く聴覚・味覚・嗅覚・触覚ってのが目で見て飛び込んでくる情報をサポートする強い力になっているように私には思えます。そして肉付けされた情報はより強く心に残ります。この心に残る情報は相手に対する好きや嫌いであったり、時には恋愛感情にまで発展するでしょう。
視覚以外での出会い、それがどう成長するのか。今知った未知の世界での人との付き合い、私のこれからの課題です。そんなことを考えながら夜道を歩くといつもの団地の駐車場の入り口に黒猫が湧き、ブーニャンに似た三毛猫は私と一定の距離を置きながら私を観察していました。
いつもより少し涼しい夜道を歩き、いつもの自動販売機の空き缶回収ボックスに缶チューハイの空き缶を放り込み自宅に帰りました。