食べることのできる幸せ
私事で恐縮です。
最近よく食べる。酒は減ったが体重が増えた。
よく食べると言っても十代、二十代の頃のような食べ方は出来ない。
大学に行くまでの二年間、魚市場で仕事をしていた頃には、目覚めて3時過ぎに母が起きて用意してくれた朝メシ、魚市場に着いて一仕事終えてセリの始まる7時前に市場の食堂での朝メシ(炊きたてのご飯と熱い味噌汁)、片付けが終わる13時前に仲買のご家族とまた市場の食堂で日替わりの昼メシ、帰るとその頃家で内職をしていた母が待っていたので二度目の昼メシを母と食べた。そして、もちろん晩メシも母と共に、もしくは悪い先輩方に誘われ夜の豊橋の町を彷徨って帰ってボソボソと一人飯を食べることもあった。そんな時は腹いっぱい酒を飲み、寿司屋か割烹でこれまた腹いっぱい食べていたから晩メシも二回食べていたことになる。
都合5回から6回の飯を1日のうちに食べていた。
(余談ではあるが、母は認知症になる前にこの頃の生活が一番楽しかったと言ったことがある。父は海外、兄は静岡に単身の長期入院。父兄のいない不良息子との気楽な二人きりの生活が一番よかったと、やはり無理して生きていたんだなと今になって思う。)
そして、学生時代には朝からご飯を三合炊いて朝昼晩を済ませようと思いながら、朝から三合食べてしまったりしていた。その頃も毎晩腹いっぱい酒を飲んでいた。
とにかく、よく食べよく飲んでいた。それでも今より体重は少なかった。
カロリーの摂取と消費の関係だとわかっているが、消費の仕方が年齢とともに運動量が減ったばかりか、どうもエコ仕様に変わってきたようである。
せっかくだからそれを上手く活かせば良いのだがなかなか出来ない。無茶食いせずに普通なのにまだまだカロリー過多のようである。
今までの普通じゃダメということだろう。
なかなか難しい。『腹が減っては戦は出来ぬ』と思いつつ、ついつい食に気が向いてしまう。もったいないから出されたもの、自分で作ったものはついつい口にしてしまう。美味しいものは口にしたい。人間らしいとあきらめるべきか。
食べることの出来る幸せを感じつつ、この『食い意地』もエコモードに変わらぬものかと思う今日この頃である。
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