怖いと思ったこと その5
その頃いつも掃除機をかけていた。
気付けばいつも掃除機を片手にしていた。
夢のなかの話であるが、いつも掃除機をかけていなければ私は塵に埋もれてしまうのである。
小学生の時、先生の話に「一年に1ミリの塵が積もれば千年で1メートルになる」そんな話を聞いた。
算数での単位でのたとえ話だったのか、理科の話が発展したのか覚えていない。
でも私にはとても現実的なことに思えて怖さを超えた感慨のようなものがあった。
ちょうどその頃、豊橋の太平洋岸にある伊古部(いこべ)という地名の海岸によく行っていた。
太平洋からは朝日が昇る海岸線を左に向けば静岡、浜名湖の今切(いまぎれ)に進み、右を向けば伊良湖岬(いらごみさき)に続いている。
そしてその先には三島由紀夫の『潮騒』の舞台になった神島がある。
自宅から自転車で一時間ほどだった。そんな風光明媚な海岸に一人佇み考え事をするような年齢だった。
民家の点在する陸地から海岸へは急な坂を下りなければならなかった。
そこら辺りの台地は砂の層で出来上がった台地であった。
水はけが良く農業に適するのであろう。
今は一面にキャベツ畑が広がっている。
以前は大根をたくさん作ってタクアンの産地だったように記憶する。
櫓にぶら下がる寒風で干される大根が風物詩にもなっていたように記憶する。
(そうそう、キューリのキューちゃんで知られる東海漬物の工場はここからそう遠くないところにあります。)
私は海との戯れに飽きると海岸線とは反対の台地の裾野に向かって歩いた。
台地は雨風に浸食されてその地肌をさらしだし、きれいな地層を見せていた。
そのほとんどが砂の層だった。
その層を上手にまさぐれば子どもの私にも化石が掘り出せたのである。
貝、魚、葉っぱなど、貝は殻のみでは無い二枚貝、魚は骨では無く形の残ったもの、多分生きたまま何かのタイミングで生き埋めにされたのであろう。
そしてそれらはすべてが砂であった。
さらさらの砂ではなく、細かい粒子が硬く固まった土のような化石であった。
だから持って帰ろうにも子どもの私の自転車では、帰ればその破片しか残らなかった。
教師の話を思い出し台地の地肌を見上げた。
想像もつかないような長い時間を感じ、自分が間違ったことをやっているんじゃないかと思った。
長い間そこにじっと眠っている彼らを人意で掘り出すことは間違っているんじゃないかと思った。
同時に人が埋まっていてもおかしくないな、とも思ったのである。
その時すでに日は傾き、周囲に人は誰もいなかった。
怖くなり、自転車に飛び乗り急な上り坂を全力で漕ぎ上った。
そんなことが関係するのであろうか、そんな夢をみる時期があった。
たいした話じゃないのだが、その頃の私にとってはかなり怖い話だったのである。