孝行をしたい時には親は無く
こんな言い回しが今の時代でも伝わっているぐらいだから、たぶん私だけの体験じゃないのだろう。
周りからは孝行息子と言われながらも、両親が元気な頃には盆も正月も仕事を理由に実家に寄りつきもしないくせに、親父の居ない留守を狙ってこっそり母に溜めた祇園の飲み屋のつけを無心しに帰ったこともある。
その頃は親が死ぬなんて考えたことも無かった。
でも時間は誰にも平等で、両親の老いも例外ではなかった。
未来永劫なんて言葉はあり得ず誰もが老い朽ち果てていく。朽ち果ていく両親を見ていながら何も出来ないのは辛かった。特に認知症の母が自分を失いながら、それに気付き苦しむ姿を見るのが辛かった。でも今、私も六十という歳を過ぎて自身の体力や気力が落ちることを感じ、歳というものを感じ始めている。歳は徐々に感じ身に染めていくものなんだと思っている。
ただ、母のアルツハイマーというスタイルの認知症はそうじゃなかった。
昨日まで出来たことが出来なくなりその異常と恐怖を感じているようでもあった。母の異変に気付き、出来ることを考えて極力実家に戻ることをし、いつもカバンにハガキを用意し空いた時間を見つけて母に書いたハガキを祈る気持ちとともに投函した。でも母に孝行らしきことは出来ずに長いグループホーム暮しの末に他界させてしまった。母の認知症で良かったことと言えば、兄の事、兄に不具を背負わせてこの世に送り出した悔いを忘れさせることができた事だけだろう。
私の両親の晩年に対する思いは、ただただ悔恨と謝罪ばかりである。
『孝行をしたい時には親はなし』、なのである。
そんなこんなを感じ考える日々のなか、この note の仲間であるB-KAZさんのお母上が記事を投稿され始めている。
B-KAZさんが住む千葉から離れた奈良で独りで生活をされるお母さまの自筆の記事を代わって投稿されているのである。
独居の母上を心配されるB-KAZさんの気持ちは痛いほどわかる。
最後の親子の居場所の最適は私には分からないが、こんなやり方で母親を社会に結び付け、生への関心を鈍らせることなく自身らしさと矜持を持って生きてもらえることはこの上ないことなんじゃないかと思う。
二人の思いを合わせ、新しい記事を目にするたび目頭が熱くなって仕方がない。ああ、歳だなと思い、そして死んだ両親を思い出す。
B-KAZさんにはおせっかいなオッサンと思われるかも知れないが、私の方が年上だから勘弁してください。
この先もずっとお母上のお話を聞かせてもらいたいと思っていますよ。
週末に新幹線に飛び乗り実家に帰ると一番にするのは冷蔵庫のチェックと買い置きの野菜の確認でした。ある日なぜか大きなキャベツが3玉もあり、腐らすわけにはいかず回鍋肉、ロールキャベツ、お好み焼き、焼きそば、お浸し、千切り、ピクルスとキャベツ三昧で帰ったこともありました。でもそんなことは往々にしてあることで、そのうちに慣れてしまいました。
自宅で普通にキャベツを食べて、両親や兄貴と口喧嘩しながら過ごした夕食の時間を懐かしく思い出します。
食事って大切ですね。