JR西日本 大阪環状線大阪城公園駅
大阪環状線に乗り京橋駅を出て南に向かうとすぐに右手、環状線の内側に少し時間の経ったビル群が見える。OBP、大阪ビジネスパークである。
私が大阪に赴任した40年近く前に出来上がった新街区である。
大阪城公園駅はその少し前、1983年(昭和58年)に開業した割と新しい駅である。大阪城築城400年祭り、大阪城博覧会開催に合わせての開業だったそうである。
OBP建設の本格着工にはなっていないが、出来上がればOBPへの第二の玄関口にもなる駅でその時点で決まっている施工業者や関係業者から寄付を募っての新駅建設だったそうである。だからかなり質素な作りの駅である。
大阪環状線は京橋駅を出るとすぐに大阪城公園の緑に沿って走る。以前はブルーシートが点々とあり、ホームレスの人たちの仮の宿りとなっていた。ある時期に彼らの寝床は一掃された。世界都市大阪に向けての動きはここ大阪城公園ばかりではなく天王寺公園や新今宮駅にあるあいりん地区にしても同様だった。
それが良いと断言はしないが、私が生まれて初めて大阪に足を踏み入れた1985年(昭和60年)頃の大阪はもっと人に優しい、誰にでも優しい街だったような気がする。ブルーシートと共に生活する人たちと私たちの間にはきちんとした線引きがあってお互いそれを侵すことは無かったのである。『見栄えが悪い』、そんな理由を言っていたように思う。それを今になっては一つの文化としてとらえ、客引きの素のように利用しようとする行政の目論見を感じるエリアさえ現れている。お互いの不可侵を行政から崩しにかかっている矛盾がある。
大阪城公園駅を降りるとそこはすでに大阪城公園であり大阪城址でもある。その横で最新の街を私が大阪に着任した時に建設の真っ最中だったのである。
旧と新が隣り合わせのエリアだったのである。
そのほんの数年前、OBP建設が始まる前に私がいたゼネコンは大阪陸軍造兵廠跡地であったその計画地に土地を持っており、土曜日の午後、半ドンで仕事の終わった後に皆で野球をしたと先輩から聞いた。のどかなゆるゆるした時間がまだ流れていたのである。
それから数年して私は営業マンとして戻って来た。このOBP建設を中心になって行った大阪の電器メーカーグループの担当となり、足しげく通っていた。このグループの私の同世代の担当者たちは気のいい大阪出身の連中が多かった。いくつか仕事をした。その後京都でも世話になり、私がゼネコンを辞めてからも付き合いは続き、始めた飲み屋にまで顔を出してくれた。とにかく気のいい人間が多かったのである。
すぐそばにいたのにあまり大阪城公園に行った記憶が無い。今の方が機会が多い。当時は仕事漬けの日々、極度の緊張と切迫感ばかりで梅や桜を楽しもうなんて気さえ起らなかったのである。
大阪環状線の各駅の発車メロディーは各駅に合わせたもので大阪出身のミュージシャンの誰もが知る曲を使っている。天満駅は吹田市出身のaiko『花火』天満で行われる天神祭りの花火は有名である。桜ノ宮駅は住之江区出身の大塚愛『さくらんぼ』である。
なのにこの大阪城公園駅は『ほら貝』である。なんとはなしにセンスの無さを感じるのは私だけであろうか。これもまた『大阪らしさ』なのかも知れないが。
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