しあわせのカレーうどん
死ぬ前に何を食べたい、と聞かれたら「餃子!」と返事を返したいところですが、病床での最後ならばそう叫ぶ自信はありません。
カレーうどんも同じだろうとおっしゃる方も多いでしょうが、私にとってのカレーうどんはちょっと特別です。
時間は昭和58年に遡ります。大学三年でした。西武池袋線江古田駅まで歩いて1分の四畳半一間でしたが、こぎれいなアパートに住んでいました。近くの耳鼻科医のご夫妻が家主さん、大学で紹介状をもらい会いに行くとお二人は怪訝なお顔、学生服の私を上から下まで見て「この方ならいいでしょう。」と奥さまの不思議な言葉を今でもよく憶えています。
合気道部の後輩二人に酒付きの晩飯をおごる約束で、大学の用務員さんにはセブンスターワンカートンでリヤカーを借りて、布団と本だけの引越しは決行されました。
そして、引っ越しするとなんとそのアパート、私以外の住人15人は全員女性だったんです。学生とOLの若い女性ばかりでした。翌日学生課長に事情を話すと「そんなことは聞いてなかった、大家さんがいいと言うからいいじゃないか」と済まされて、それから仕方なく1年間、息を潜めて生活しました。
そのアパートは江古田駅の北口、大学は南口にあり私の主な生活圏は南口エリアでした。その頃の食事は学食が多かったです。いつも大盛り150円のカレー(並は120円)ばかり食べていました。たまに金と時間に余裕がある時に今の三菱UFJ銀行江古田支店(当時はまだ三菱銀行)の向かいにあった『富貴蕎麦』って蕎麦屋によく行きました。
いつも頼むのはカレーうどんの大盛りとご飯でした。うどんを食べた後にご飯を出汁に投入して、食べ終わったあとは美味しさと満腹感でいつも幸せでした。
いつも混雑を外した時間に行ってました。静かになった店内で一人モグモグ食べるのをご主人と奥さんが見ているのを知っていました。ある日から同じ注文なのに小さな丼も付いてくるようになりました。そこにカレーうどんの出汁だけが入っていたのです。
ご主人に「大したことじゃない、気にせず食って行ってくれ」と言われお言葉に甘えました。毎回、卒業まで甘えました。
遅い夕方に行くと、お客さんのいないテーブルに息子さんがいることもありました。仕事が終わるのを待って一緒に帰るのでしょう。お二人が片付けをするそばで黙々と宿題をする息子二人の姿にとても微笑ましいものを、私の経験したことの無い安堵を感じたことを思い出します。
それが私のしあわせのカレーうどんなのです。
そして、私が住んでいたアパートの前の浅間神社の境内に夜タバコを吸いに出ていると、仕事帰りの四人が手を合わせるところに遭遇しました。なんだか声をかけるタイミングを逃し、離れたところから見ていました。真面目な商売人の方なんだな。ご家族を大切にされているんだな。
その姿を見て私は幸せを少し分けてもらえたような気がしました。
カレーうどんは私にそんな思い出を作ってくれました。
『富貴蕎麦』のカレーうどんは本当に美味しかったです。
カレーうどんを食べるとそんなことを思い出します。
そんなことを思い出したくなるとカレーうどんを食べに出かけます。
今日の昼に食べたカレーうどんは『思い出の玉手箱』の鍵ですね。
私にとってなんともコスパの高い『鍵』でした。
ヘッダーのカレーうどんは近鉄八尾駅高架下の『河内うどん』410円のカレーうどんに110円のおにぎりです。150円のご飯は食べ切れない年齢となりました。風通しのよい椅子のある立ち食いソバ屋のような店ですが、八尾で一番美味いうどん屋かも知れません。
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