生きるにとって大切なこと
設計事務所で営業をやっていた頃の話である。
建設業界で建築設計を設計事務所、土木設計をコンサルタントと、その設計の会社の呼び名を分けている。
私がいた会社は建築・土木両方を業として営んでいた。
そして、ゼネコン、設計事務所、コンサルタントにおいては付き合いのある行政のOBを受け入れることが慣習となっていた。
その頃の仕事中での雑談でのことである。
某市浄水場長をされていた方との会話である。
通常、役所のOBは席にいることが多く、用事のある時の出身役所とのパイプ役になってくれるくらいで、静かに会社にいらっしゃることが多かった。
しかしこの方は某市の上水道のトップにいたにもかかわらず、自身で入札にもいかれ、業界の仕組みまで尋ねに私の席まで来る方だった。
ある時、私が「某市の水道水は美味くないですね」と言ってしまったことがある。
当時、某市の水道水は「モンドセレクション」の飲料水部門で「最高金賞」に次ぐ「金賞」を受賞していてペットボトルに詰めて売り出していた。
OBは私に「宮島さんはどこに住んでいるんだい」と聞かれ、「某市阿倍野区〇〇です」と答えた。
そうしたら、「あー、そりゃダメだ」と。
説明によると、日本一の水道水は浄水場で出来上がった時のこと、私が住んでいた地区に届くまでに古くなった水道管に付着したさまざまによって味付けがなされてしまうのである。場所によっては戦後敷設されたものも残っており、計画的に交換工事はされているもののその恩恵にあずかれるのはまだ先だとのことであった。
「私のような老体の指先の毛細血管が宮島さんの近所の水道管だよ」と言われエラく納得したのであった。
たまたま生まれた地で生涯を送る人も多いと思う。
対価を支払うことなく享受できる空気や景色の素晴らしいなかで生活できる方々を心から羨ましく思う。
きっとそんな生活を送っている方々の水道の蛇口からは美味しい水が出てくるに違いないと想像する。
松本で学生生活を送った息子のもとを訪ねた折にいつも感じた。
住み続けている方は何も感じないかも知れないが、そんな場所で長く生活していたら感性や感受性にも影響があるような気がする。
このニューコロナを契機に会社のあり方も変わり、地方に移転した企業もある。
そんな発想の柔軟な企業は、ますます発想を柔軟にして成長する企業だと思う。
『生きる』に不可欠な食と住、考え直す機会となったのであれば、このニューコロナに腹が立つばかりでもないような気がしているのである。