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ふつうの日常

毎週同じルーチンです。
日曜の朝、仕事が終わり合気道の稽古に向かい稽古が終われば帰って少し寝て、目が覚めたらボーッとして日曜の夜を迎えて寝る前に少しパソコンに向かいます。

『判で押したような毎日』を送っています。営業マンにはあり得ない日常です。直行直帰はままあることで、二日酔いをいかに悟られずに仕事をしているふりをするか、得意先にその一役を買ってもらうのも営業深度の深さで、行方知れずが毎日の日常でした。

障害者の方々の生きるためのお手伝いを『見守り』といった言葉を使ったりします。入職当初なんとなく違和感を持っていたのですが今はなるほどなと思っています。生き辛い何かを抱える皆さんが普通に食べて、普通に寝て、普通に排泄が出来る。こんな普通に生きるお手伝いを『介助』や『介護』はなんだか機械的な気がします。普通に生きるためのお手伝いに『見守り』がしっくりくるようになりました。

付き合う時間が長くなって来れば、週に三度の夜だけですが時々顔を合わせる親戚のおじさんや、いとこや息子のようになっていきます。
彼らも私たちと同じです。ショートステイに来る前に日中の事業所内での利用者同士のトラブルや家でお母ちゃんと喧嘩したりとまったく私たちと同じです。違うのはなかなか切り替えが難しいようですね。持ち込んできます。
持ち込む強弱の差だけです。暴れる子は少し暴れたら冷めます。温かな飯を食い、熱いふろに入り、出て来ればたいてい落ち着いています。
だから切り替えは私たちと同じです。

障害者の兄がいるのですが身内と他人である彼らとの接し方や感じることは全く違います。たぶん最後となるであろう奉公に、いい勉強をさせてもらってるなぁと思っています。

週三回だけですが同じ場所に同じ時間に行き仕事をして同じ時間に帰るのが二年も続きましたがこんな普通のスタイルの日常が社会人になって初めてのことです。
普通の社会人をしています。

道場としてお借りしているスタジオは大阪市施行の区画整理事業区域のなかにあります。公共の建物や大型マンションの立ち並ぶ整然とした街並みとなっています。でもすぐ横には未だ残る遊郭、飛田新地のある不思議なエリアです。
これもそのエリア内の銭湯、タワーマンションの1階にあります。区画整理前から仕事中世話になりました。ミナミで接待のある夏場はここで一度汗を落としネオン街に向かいました。午後3時オープン、もう少し早く開けてくれたら稽古の帰りに入りたいですね。そしてそのまま阿倍野の飲み屋に移動できる日が来て欲しいです。
あべのハルカス、この高層ビルの右側あたりに私の店はありました。
トイレを借りた時にしか入ったことのないドン・キホーテの水槽、このJR沿いの旧ビルには古い小さな郵便局があったように記憶します。よく手紙を投函しました。ひょっとしたらこの横のビルかも知れません。ずいぶん街並みは変わっています。
この筋をまっすぐいったらあいりん地区です。その右手あたりに通天閣、新世界があります。第6波が落ち着いたらのぞきに行ってきます。
通天閣はいつも変わりません。雨上がりの今日は春を感じさせる爽やかな風が阿倍野の街を吹き抜けました。

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