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勝ち負けのない世界

「今日、栗野さんが農業委員会にいらっしゃったんです」

 法務局の用事を済ませた後、事務所に入っていた「確認事項有」の電話に折り返した僕に農業委員会職員・香田君が切り出したのはそんな言葉だった。

「家の周りに盛りをしたいとおっしゃったんですが……月原先生は聞いていますか?」
「いえ、聞いてないですね」

 僕こと、行政書士・月原大地はそう答える。半分は嘘だ。

「僕が聞いていたのは、お孫さんの自宅敷地として、畑を分筆して、使用貸借させる……という事でしたが」
「そう……ですよね」

 月初に提出した申請……農地法第5条許可申請の要点を浚うような僕の言葉に、香田君も向こう側で頷いたような気配があった。

 実際、栗野さんが十日ほど前に来所して話をしたのはこうだ。トラクターの置き場にするから、旗竿地となった残地の竿の部分……これを通路状に整えてもいいだろうか? と。
 締め日どころか、現地立会の数日後のことだった。

 しかし、先程の言葉に引っかかるところがあった。どこだ? と考えを巡らせる。

 農地を農業のために改良する。これに農業委員会が文句をつける余地は無い。ただし、宅地造成工事に乗じて土を入れるのなら、誤解を避けるために所有者本人から相談に行ったほうが良い。却って行政書士から追加で相談を上げるのは藪蛇になるからだ。

 そう僕はアドバイスをした。市民の強みで押し切れる範囲だ。だが……

「分筆ラインのL字に沿って土盛りをするなら、計画変更申請を出して貰う必要があるかもしれません」

 通路部分に土を盛るのと、家の周りに土盛りをするのとでは、全く話が違ってくる。
 僕に嘘を吐かないでくれよ。栗野さん。

「つまり、栗野さんがおっしゃったのは、分筆した土地の外側に土盛りをするという事ですね」

 努めて冷静に確認する。しかし、

「そうです。そうしていいと、月原先生がおっしゃったと」
「はあ?」

 思わず笑い混じりに、僕はそう言った。
 何を言っているんだ?

【続く】


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