ツインブレード無宿 視えずのお唯
「シャーリーテンプルひとつ」
「シャーリー……何? お嬢ちゃん」
「チッ……じゃあジンジャエール頂戴。あと、私はガキじゃないぞ、ボウヤ」
空の疑似太陽ランプが照度を落とす、設定時刻は夕方。
バーテン見習いの青年、葉《よう》が酒場でグラスを磨いていると、何時の間に居たのかカウンター向こうからそんな言葉が投げかけられた。青年が目線を下げると、そこにはフードを目深に被り、猫背気味の……少女。面相は分からないが。
葉は(なんだこいつ)と思いながら瓶入りの炭酸飲料を取り出し、共通硬貨1クレジットと交換でグラスとともにその少女に差し出す。
過剰積層都市【ユートピア】の辺境、228番街。その入口とも言うべき区画に建っているボロ酒場【御稲荷】には、とても似合わない姿だ。
■
彼女はグラスに手を付けず、瓶から直接ジンジャエールを呷る。小皿に盛ってあったセルフの炒り豆を摘み、口に放り込んではゴリゴリと咀嚼する。
葉が、再び(なんだこいつ)などと思いながらそんな風景を眺める。
「おいおい、なんでこんなとこにメスガキがいるんだぁー? 新しいプレイロイドか?」
「ははっ、アニキのは入りやせんよ」
「お前のなら入るんじゃね?」
「バカテメエ!」
そうしていると、下卑た会話とともに男たちがスイングドアも荒っぽく来店した。巨体の地回り、参《さん》とその取り巻きの伍《ご》と弐《に》。更にその子分にあたる芥《あくた》どもだ。先頭の三人は長ドスをこれみよがしに腰に吊って、厭らしい。
「……私はガキじゃない。あと、唯《ゆい》ッて名前が有る」
努めて感情を殺したような調子で、少女改め唯は正す。その左腰には、短い柄と掌ほどの穂先、短槍らしきもの。
(あれ? さっきから有ったか?)
ゴロツキ共が言う前に出さないと機嫌が悪くなるので、いつもの安酒【溝金《どぶきん》】を用意しながら、ふと葉は思う。
「げひゃひゃ、じゃアよ、お唯ちゃん。あっちいって俺らの酌しろや」
弐が軽薄そうに言い、唯の肩に手を回す。他の連中はドカドカと奥に向かい、厭おしそうに【溝金】を持った葉がそれを追おうとした。
そのとき、チカッ、と何かが閃いた。
少なくとも、葉はそんな気がした。
太陽ランプ、ついにぶっ壊れたか? 葉がつと振り向いた目の前で、弐の額から向こう後頭部まで、きれいに髪が吹き飛んだ。
「うわは」
細かい髪が鼻先をくすぐり、葉は気持ち悪がる。
「っと……ちょっと切り過ぎたな。ハハっ、ま、ダブルモヒってことで」
初めてその声音に似合う弾んだ雰囲気で、唯が笑った。
■
どっ、と弐が腰を抜かし尻餅をつき、一緒に落ちたグラスがけたたましい破砕音を奏でる。
「ああああ!?」
「なんっだァてめえ!」
「何しやがったぁ!」
「容赦ねえぞコラぁ!」
害されたような雰囲気。それだけでゴロツキたちがイキリたつには十分な理由になる。
――たとえ、その方法や現場を目にしてなかったとしても。
「おいおまえら……ちょいま……」
「弐のあにい! 大丈夫ですか!」
「だから……ま……」
弐が何か言いたそうに口をパクパクとするが、奥からドヤドヤと湧いてきた芥どもはそれに構わず一方的に功を示そうと唯に詰め寄る。葉はそれに突き飛ばされ、あえなくカウンター内に逃げ込んだ。
「なにもしてないって。イメチェン、手伝ってやっただけだって」
「イメ……?」
先頭の、いかにも脳が53g位しかないです! みたいな男が首をかしげる。
「イメチェンも通じんのか……ほんとに文明圏かここは」
唯が嘆息する。
子分はよくわからないので、殴りかかることにした。
「穴を残せばOKだろん!」
「なんだこいつは」
先程自分に向けられていた感想だとも知らず、そう呟きながら唯はひょいと躱す。ついでに手が閃いたかと思うと、男の手首が鮮朱の緒をたなびかせた。
「おろん? 俺の手が無え」
「あ、すまん。クセで」
「抜きやがったぞこのガキャぁー!!」
芥の手首がグーのまま床に転がり、気配が本物の殺気に満ち満ちる。当然だ。伍を始めとして子分らが隙間を開けず唯を取り囲み、入口は完全に塞がれた。
「あー、すまん。手が滑ったんだよ。よくあることだろ? この世間では」
「どこの手先だテメエこのガキテメエ。この前来た黒毟《くろむし》会か? 隣の227番の連中か?」
「違うって。流れだよ。流れの無宿。すぐ出てくよ」
そう言って唯は懐から何かを取り出そうとするが、それを伍の長ドスの振りかぶりが遮った。
ゴガッシャーン! と景気よくカウンターが破砕され、その裏に有った冷蔵庫でようやく刃を止める。間を置かず横薙ぎ、逆横薙ぎ。それはどちらかというとバットのスイングに近い。唯はすばしっこくそれを避け伍の背後に着地する。
「手持ちのひいふう……3000クレジットある。義手は無理そうだけど、まだ今なら病院行けばくっ付くからこれでさ」
懐の巾着を開き、暫く生活費を賄える程度のクレジットを示す。
「通るかボケガキャ!」
その答えは否! 伍が振り向きざま、再びドスを振り上げ唯に躍りかかる。
唯はそれを半眼で睨めつけると、接触寸前、その肩の付け根をそっと手で抑え、肘を鳩尾に強かに打ち付けると、そのまま細い腕と小さな背中に男の汚らしい身体を乗せ、跳ね上げる。
ちなみに芥達含め、大半は上半身裸である。
力の方向を華麗に偏向させられた伍の身体は、斜め方向へロケットのように射出された。
「ぎゅげ」などと潰れたカエルのような声を上げ、唯を囲んでいた芥をまとめて押しつぶし、揃ってダウンする。
しかし尚それを躱した後続の芥たちが迫る。手には金属パイプ、角材、標識の土台、鉄爪。そんな連中へと向かい、逆に唯は加速した。
予想外の動きに端の金属パイプ芥に一瞬の隙が生まれる。そこへ槍を振りかぶり……強かに股間をぶっ叩いた。
「――……! ――――…………!!」
「潰れては、無い。手応え的に」
そうして、唯は【御稲荷】を脱出した。
■
「ガキぃー! 槍のガキぃー!」
「おら出てこーい」
一時間単位ほど後、芥たちの胴間声が街に響く。隣の筋も、その隣の筋もそうだった。
「しつこいな……戻るも進むも一箇所ずつしか無い街はこれだから嫌なんだ」
路地の配管束の隙間に隠れて唯はボヤく。元来た【御稲荷】近くは勿論、下り側……第229番街方面口も参の手下の芥共で溢れかえっていた。存外人望があるのか動員力の有る地回りだ。
「斬り殺すのも悪いしな」
「ナー」
なんでも無いことのように呟く彼女に、この隙間の原生住民たる湿りネコが相槌を打つ。
かつて存在したネコと比べ全身の色味はくすんでいるが、手足は短く身も一回り小さい。
「ナー!」
その湿りネコが、また一声鳴く。唯が和むその横で、首にかかっていた涙滴状の小機械が鈍く発光していた。
■
「弐の兄さん大丈夫ですかい」
「ああ、腫れは引いてきた」
「早く呼べやそういうときはよお」
第229番街方面口付近では、弐と参、気の荒い芥の選抜員が屯していた。
(さっさと端末でおニューのエロピンナップに夢中になってたのは誰だよ)
弐は内心でそう毒づく。ちなみに参の”持ち物”は大変に不釣り合いで、その話題はタブーだ。
一方伍と言えば、あしらわれたのが相当に頭にきたのか、【御稲荷】付近を中心に血眼で街中を駆けずり回っている。
「ああほらこの前道具屋から買ったアレ、あんだろ。アレ使いてえんだよ」
参が能天気にそんな事を言う。弐はどれだっけなと思いながら、手元の端末が震えたのを感じてその画面を見た。
「糸に引っ掛かったみたいでさ」
■
「ネコ使うのはナシだろネコ使うのは……」
果たして、唯は金属ワイヤで手足を拘束され路地裏に転がされていた。
「あと、お前らそんな頭悪そうなのになんでバラまくくらい電子機器もってんだ……?」
「うるせえ黙ってろ」
男が唯につま先をねじ込む。先程の酒場に居なかった芥だ。
「おうお前がうちの弐と伍を楽しませてくれたみたいだな」
連絡を受けた参と弐、そして遅れて伍が現れる。芥はペコペコしてどっかに行った。
「あー……私も謝るしもう出てくからさ、見逃してよ、今のうちに」
「配管束の隙間に居たみたいで」
「あんなとこに? 湿りネコくらいしか居られないだろ」
「さあそれは」
唯を無視して話し込む彼らの足元に、件の湿りネコがコロンと転がってきた。それを無造作に伍が拾い上げる。
「べちょっとしてんなあ……」
かと思うと、ポイと地面に投げた。
唯はヒクっと反応する。
「おう、伍、それ抑えてろ。試し切りしたい」
参が腰元の長ドスを引き抜くと、ケーブルのようなものを柄尻に繋ぎ、ボタンを押した。
音もなく、刀身が光に包まれた。
「光波《こうは》武器……? 接続兵器をなんでお前らが」
その光る刃先をネコの耳にあてがい、悲痛な叫びとともにそのふわふわした耳が片方落ちた。
「おほ、宛てがうだけで斬れんのか。すげえな」
新しいおもちゃを楽しむような口ぶりで参が漏らす。実際はもっとだ。手にしたその武器の価値は計り知れない。なにせ本来は持てない禁止兵器なのだから。
「じゃあ、それでこのガキの顔を刻み……」
ブチン
伍の言葉を、聞き慣れぬ音が邪魔をした。
「お前ら殺すわ」
唯が立ち上がり、金属ワイヤを引きちぎった音だ。
■
「な……み゛っ」
唯の姿がかき消えると、最初に飛んだのはネコを抑えていた伍の上腕から下。そして腰から斜め、顎から入り頭、上半身を縦割り。
瞬間、卸し肉のようになった人体が路上に転がる。
唯は刃が伸長し剣のごとく変形した短槍の血を払うと、未だ苦痛で身体をガクガクと震わせるネコを優しく上着の中に入れてやった。
「なんなんだてめえ、なんなんだてめえ」
参が心底怯えた様子でうわ言のように尋ねるような言葉を吐く。弐は端末に指示を出し、周囲の芥の連中を参集させる。
「唯。視えずのお唯。ちょっと身体と男を探してる、寂しい女だ」
参は肝を奮い立たせ、光波長ドスを構えて唯に相対す。
「参だ。俺は参尺ドスの、参だ!」
喚くようにそう言い放ち、先程のボタンを再度オンにする。
「改め! 百セルの、参だあああああ!!」
光波が路地の暗がりを照らし、万物を切り裂く暴威の刃が小さな少女に振るわれた。
――本来【都市】からの供給が得られない場所で高エネルギー兵器を振るうための窮余の装備が、バッテリーセルだ。それは供給量に比してあまりに重く、個人が扱えるものではない。
参の背負うそれは、唯の体重に等しい重量で、ようやく300秒の稼働を可能にしていた。
る。と路地の配管、建物の壁、都市外殻の地面すら切り裂いて刃が走る。だが、唯には毛の一本も触れられずに。
「こっちだ。伍が殺された。ガキを逃がすな。何ならガキを抱いて一緒に斬られろ」
弐が集まってきた芥の尻を蹴っ飛ばして路地に送り込む。
「クソが。何だあいつは……参ももうそろそろダメか……」
その声は小さくて芥たちには聞こえず、最後の芥《ごみ》を路地に蹴り込むと、どこへとも知れず駆け出した。
「うらららららああああああ!!」
一方、狂ったように参はドスを振り回し、その動きに合わせて路地に下手くそな彫刻が刻まれてゆく。錆びた街のゴロツキの王は、振るうごとに頭が少し冷えて唯を追い詰めてゆく。
そして、至った場所は路地のどん詰まり。街の最外縁部に当たる。
「これでにげらんねええぞガキがあ」
ノンストップで動き続けた身体から絞り出すような汗が伝う。
上から振るえば真っ二つ。ぴょんぴょん跳ねる場所はない。
――そう思っていた。
「全員並んだか。クズども」
唯は手にした剣を前に突き出すと、指先だけでくるんと柄を一回転させ、刃を逆手に持ち変える。
「光実双刃。お前らなんか、18秒で十分だ」
柄尻と思われていた場所から、光波ブレードが出現した。
「あと大体、15秒くらいで」
――白光と鋼色の螺旋の嵐が、一直線に奔り抜けた。
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街が完全な夜闇に沈んでいく。今や一日単位の変更時間を間近にして、街と外を隔てるシャッターは封鎖されようとしていた。
「さて……テンション上げて切り刻むとおぜぜまで血ドブに沈むから、いかんな」
唯はそう言ってため息を吐き、懐の柔らかくて温かい塊を撫でる。
「次の街では生体再生屋があればいいけど」
そして、彼女は街の外へ足を踏み出した。
【おわり】