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【インド行2】グルガオン

1月23日夕刻、春節連休に入る少し前、デリーのインディラ・ガンディー国際空港に降りた。台北からバンコクで乗り継ぎ、約4400キロ。早朝に台北の自宅を出てから約13時間、外は既に暗かった。迎えに来ていたMiの案内で、グルガオンに向かった。

グルガオン(2016年に改称され、グルグラムGrugramとなるが、ここでは皆が親しんでいる旧称グルガオンで記す)は、ハリヤーナー州に属し、人口約150万人*1、デリーから車で約40分の新興衛星都市として成長を続けている。
1983年、今ではインド最大の自動車メーカーとなったマルチ・ズズキの初めての工場がグルガオンに建設され、現在も操業を続けている。
2000年代以降、首都デリーのビルの老朽化を原因に都市開発のディベロッパーDLFが、グルガオンをビジネス都市として開発していく。Cyber cityには、googleやIBMなどの有名外資系企業や日系企業、新興企業も集まり、重要なビジネスエリアになっている。Cyber Hubは、Cyber cityに隣接し、飲食店を中心にアパレル系など多くのショップが入っている屋外型モール。

翌日、CyberHubで、インドの人気チェーンというところで軽い昼食をとった。まずはパニプリ。一口サイズの小麦粉の生地を揚げたパリパリ感のあるPuriに、少し甘酸っぱいPani、タマリンドやチャットマサラを混ぜた汁、を入れて食べる。スナック菓子みたいなものとのこと。

パニプリ(panipuri)
CyberHubからCyberCityを眺める

グルガオンの歴史
グルガオン(Gurgaon)は歴史的にヒンドゥー教徒が居住していた地域で、古代にはアヒール氏族が統治する広大な王国の一部であった。伝承によれば、この地はカウラヴァ族とパーンダヴァ族の師であるドローナーチャリヤ(guru Dronacharya)の村であった。
アクバル帝の治世(1556-1605)には、グルグラムはデリーおよびアーグラの統治領域に属していた。ムガル帝国の衰退が始まると、この地域はさまざまな勢力による争奪戦に巻き込まれた。1803年、シンディア家とのスルジ・アルジュンガオン条約で、この地域の大部分はイギリス統治下に置かれた。
この町は最初、シルダーナのベグム・サムル軍を監視するために派遣された騎兵部隊により占領された。その後、地区の一部となり、「パルガナ(parganas)」と呼ばれる小行政区に分割された。これらの行政区は、軍事奉仕の見返りとして小規模な首長に割り当てられていたが、最終的にはイギリスの直接統治下に置かれた。
1836年の最後の主要な行政改革により、グルガオンは完全にイギリスの管理下に組み込まれた。1857年のインド大反乱の後、この地域は北西州(North-Western Provinces)からパンジャブ州(Punjab Province)に移管された。
1861年、グルグラムが属する地区は再編され、グルガオン、フィロゼプール・ジルカ、ヌー、パルワル、レワリの5つのテシール(行政区)に分割された。現在の都市は、この際にグルガオン・テシールの管理下に置かれた。
1947年、インド独立とともにグルガオンは独立インドの一部になり、パンジャブ州に編入された。1966年、ハリヤーナ州の創設に伴い、この都市はハリヤーナ州の行政管理下に置かれることとなった。

https://gurugram.gov.in/history/

参考
*1 https://www.city-facts.com/gurugram/population

関連
【インド行1】25年1月 序
【インド行2】グルガオン
【インド行3】タージ・マハール
【インド行4】アーグラ城塞とムガル帝国
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