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【台北好日】台北植物園は大都会の中の散歩に気持ち良い森でした

国立台湾芸術教育館の敷地から、隣の台北植物園へ続く小道があります。後ほど感じたのですが、台北に移り半年も経つのに、こんなに朝の散歩に気持ち良い場所があるとは。。。これからも時々訪ねたい場所、と感じました。

小道を抜けると、目の前に蓮池がひろがり、そばには麵包樹(パンの木、Artocarpus incisus)が幹や枝をここかしこに広げています。その姿に圧倒的な生命力を感じさせます。説明文によれば、この木には蚊を寄せ付けない成分が含まれているようです。そのため、熱帯に住む人々の家の近くに植えられていたとか。

麵包樹(パンの木)

蓮池の脇に「南門町三二三」と名付けられた日本家屋がありました。庭は枯山水、台北のこのような場所で観れるとは知りませんでした。縁側にすこし腰かけて眺めていました。

枯山水の庭
南門町三二三

清朝時代、来台していた官員の施設だった「欽差行臺」があります。もともとは西門の中山堂にあり、日治時代は、しばらく総督府として使われていました。公会堂(現在の中山堂)を建てる時に植物園に移転させたそうです。先人の建物を、破壊せず、移設させて残すのは素晴らしい。この移設も総督府営繕課の井出薫さんの仕事だったと。残念ながら、当日は改修中で中に入れませんでした。

欽差行臺

植物園の中心部は大きな森です。木々の木陰に、ひっそりと早田文蔵さんの碑があります。銅板に説明が刻まれているのですが、はっきりと読み取れません。Wikipediaで調べました。

森の木々と早田文蔵さんの碑

早田 文藏(1874年12月2日 - 1934年1月13日)は日本の植物学者。
経歴
1871年、新潟県加茂生まれ。1903年東京帝国大学を卒業。台湾総督府の依頼で台湾の植物を研究し、さらにインドシナでも調査を行った。その後東京帝大理学部教授および東大附属植物園長となった。

台湾植物の命名にあたってはフランス人神父のユルバン・ジャン・フォーリー (Urbain Jean Faurie) が残した資料に拠る部分が多かったため、謝意を表するため日本人から寄付を募り、1917年に神父の銅像を建てた。

死後の1936年、台湾総督府は功績をたたえ記念碑を現台北植物園の腊葉館前に建てたが太平洋戦争の混乱により、フォーリー神父の銅像ともども行方不明となってしまった。21世紀になって神父の銅像の金型が発見されたことにともないこれを復刻し、その際に早田の記念碑も新たに作成された。2017年9月30日に修復工事のおわった腊葉館とあわせ復活することとなった。

研究内容・業績
台湾植物についてタイワンスギをはじめ1,636種を命名したことにより、「台湾植物の父」とも呼ばれる。

Wikipedia「早田文蔵」より

自然豊かな台湾の植物園らしく、実に多種多様な植物が育てられています。台湾の気候は、北部が亜熱帯、南部が熱帯。6年間暮らしいますが、四季の移ろいもしかと感じられます。この植物園を改めて訪れ、さまざまな草木に触れ、その魅力をより深く知りたいと思いました。

彩虹鳥蕉 Helicoia ヒメゴクラクチョウカ
Hellenia


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