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台湾・金瓜石の黄金博物館。そこは、アジア一の金鉱だった。
台湾北部、現在の瑞芳区に位置していた金瓜石鉱山が、1938年(昭和13年)の日本統治時代に、年間金産出量で日本記録を樹立、「アジア一の貴金属鉱山」と言われているたとは知りませんでした。
九份が鉱山の街だったことは知っていましたが、当時の日本でもっとも大規模な貴金属鉱山がこの地域に存在していたとは知りませんでした。記録によれば、1933年(昭和8年)に日本鉱業株式会社が金瓜石鉱区を買収し、大規模な設備更新を行ない、鉱山は採掘の最盛期を迎えます。
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11月の週末、小雨が降り出しそうな曇り空の下、午前8時に台鉄台北駅を出発しました。七堵駅で瑞芳駅行きの電車に乗り換え、車窓の左側に泡立つ基隆河を眺めながら電車は山の中を進みます。終点の瑞芳駅に到着後、金瓜石行きのバスを探したところ、区民広場の前から発車しているのを見つけました。
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バスは、うねるような山道をゆっくりと登っていきます。九份のバス停では、まだ朝早いためか、観光客の姿はそれほど多くありませんでした。さらに約10分ほど乗車すると、金瓜石の黄金博物館前に到着しました。
午前9時半の開園直後、入口を入ると、右手に当時の日本人社員とその家族が使用していたとされる日本式の家が保存されています。この家には、かつて4家族が暮らしていたそうです。目を閉じると、約90年前の生活の情景が瞼の裏に浮かんでくるようです。
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博物館(大地館、黄金館)では、金瓜石鉱山の地形や歴史、鉱石に関する展示を見学しました。
地球の主要なプレート境界に位置する環太平洋沿いは、火山活動によるマグマの噴出や熱水鉱脈が形成され、これが多くの金鉱や銀鉱の存在につながっている(あるいはかつて存在していた)ことを知りました。ペルー(アンデス山脈地域)、メキシコ(シエラ・モレーナ地域)、アメリカ(サンフランシスコ周辺)、日本(佐渡、石見、菱刈)、台湾、パプアニューギニア、ニュージーランド、オーストラリア(クイーンズランド州や西オーストラリア州)などが挙げられます。
日本統治時代、台湾の金瓜石鉱山は、佐渡金山を上回る金の産出量を誇っていたことを知りました。累計で金93トン、銀180トンが採掘されたそうです。日本の産業を支える重要な役割を果たしていたのですね。
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金瓜石鉱山は、日本統治時代の1897年に開山し、1930年代に最盛期を迎えました。第二次世界大戦後、中華民国政府に接収され、台湾金属鉱業股份有限公司の運営の下で採掘が続けられましたが、銅価格の下落により1987年に閉山しました。
2004年に「黄金博物館」がオープンし、鉱業の歴史や文化、景観の保存・活用を目的に運営されています。この博物館は「百年地景、永続環境」というビジョンのもと、「美しき山の街」の実現を目指しているとのことです。
私も参加した「砂金掘り体験」では、子供たちやその家族、観光客がちょっとわくわくしながら取り組んでいました。
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「坑道見学」もできます。狭く細く続く閉じられた坑道の中での作業が、どれほど大変だったことか、少しかもしれませんが感じ取れます。
小雨が降りはじめました。この地域は、雨が多いことで知られ、1年のうち200日近くも雨が降るそうです。雨に霞む周囲の山々を眺めながら昼食をとり、再びバスで瑞芳の街へ向かいました。
瑞芳の駅前の美食広場で、美味しい芋泥球(Yu4 ni2 qiu2)を買って帰りました。
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知らなかった台湾の歴史に、また少しだけ触れることができました。