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台湾の新竹駅と東京駅、1年ちがいの兄弟

初めて新竹駅を見たとき、東京駅と似ていると思った。実際のところ、大きさもデザインもそれほど似ているわけではないが、その佇まいが醸し出す雰囲気が、同時代のものであり、まちがいなく東京駅と同じものに感じた。
実際のところ、新竹駅は東京駅が完成した1年前の1913年(大正2年)に完成した。その意味で、新竹駅は東京駅の1つ年上の兄である。

現在の新竹駅舎は、日本統治時代の1913年(大正2年)に完成、松崎万長(1858-1921)の設計による。松崎万長は、13歳の時に岩倉使節団に加わり、ドイツのベルリン工科大学で建築学を学び、26歳の時に帰国している。1886年(明治19年)に辰野金吾らと共に造家学会(のちの日本建築学会)を設立。明治40年(1907年)、49歳の時に台湾に渡り、台湾総督府鉄道局に勤務、この時に新竹駅の建築にあたった。

現在の新竹駅(2021年)

東京駅は、明治時代の日本を代表する建築家の辰野金吾(1854-1919)の設計による。1914年(大正3年)に竣工、完成時は、3階建て、高さ約35メートル、全長約335メートル、日本の皇居の前に位置する堂々とした建物だった。赤レンガと白い花崗岩を使った重厚な建物は、とても印象的で、辰野式といわれたそうだ。辰野金吾は、工部大学校(現在の東大工学部)で建築を学び、首席で卒業、イギリスに留学、帰国後、工部大学校教授に就任、1886年(明治19年)に造家学会を松崎らと共に設立している。

丸の内駅舎の完成直後の全景写真、1914年 Wikipediaより
東京駅(2018年)

自分が撮った新竹駅の写真を見ると、なぜか夜の写真が多い。台北で仕事を終えてバスで新竹に戻ってきたとき、新竹の街で会食を終えて駅の前を通ったとき、休日の夜になんとなく散歩していて。。。新竹駅には、そんな時の、疲れを癒すような、穏やかなやさしさがある。遠く日本から離れていながら、日本の郷愁を感じれるようなそんな場がある。時間帯がうまくあえば、新竹駅の上に、椰子の木の上に、まるまるの満月を観ることもできる。

壮麗な東京駅は、また違った感じがある。先日、一時帰国した際に、小雨降るなか東京駅にいた。外に出て、東京駅を眺めた。日本の中心に戻ってきた感じがした。

夜の東京駅(2024/11)

やはり東京駅は東京駅、新竹駅は新竹駅、遠く2100キロ離れたところにある1年違いで生まれた駅は、100年以上を経て、今は各々の持ち味を出しながら、駅を行きかう人たちを見守っている。

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