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昔はどんな子どもだったのか
今日のテーマは、「昔はどんな子どもだったのか」。
これはまとめ方が難しすぎる。
事実を並べるのはつまらない気もするので、今の自分の性格や考え方につながっているな〜と思うあたりを、かいつまんで書いてみます。
生い立ち
まずはざっと生い立ちから。
私は大阪生まれ大阪育ちの一人っ子で、父と母の3人家族です。
と言うと「弟がいそう!」と言われることが多いです。
小学校に入った頃から高校生くらいまでの間、父が海外(ドイツ・台湾)に単身赴任していたこともあって、ほぼ母と2人暮らしの生活を送りました。
母は私の出産と同時に会社勤めを辞め、在宅で翻訳の仕事をすべく勉強中でしたが、近くに住んでいた母方の祖父母との接点も多かったおかげで孤独を感じることはありませんでした。
幼稚園から小学校、そして中学受験を経験して私立中学へ進学。
そのまま高校へはエスカレーターで上がり、大学へ進学しました。
家より外派の活発少女
記憶がないような幼少期は、ホームビデオやアルバムを見る限り決して大人しいタイプではありませんでした。
ディズニーのビデオを見て永遠にダンスを踊っていたり、誕生日ケーキのろうそくをピンクからつけて欲しくて叫んでいたり。
元気で活発な女の子でした。
幼稚園や小学生の頃も、放課後は家でゲームをするより外で遊ぶのが大好きでした。
シルバニアやプラレール(動くのに感動して記憶)も買ってもらいましたが、それよりは一輪車やインラインスケートにどハマりして思いっきり乗り回す毎日でした。
おかげで(?)今でもテレビゲームは大の苦手で、全くと言っていいほどできません。
ゲーム系で持っていたのはポケットピカチュウくらいでしょうか?(懐かしい……)
今でも家にずっと居ることが苦手なので、これは幼少期の遊び方に影響していたりするのかな?と思います。
ちなみに、一人で行動するのに抵抗はありません。
コロナ前は、ストレス発散でよく一人でカラオケにも行ってました!
習い事はたくさん経験
一人っ子だったこともあり、習い事はたくさんさせてもらいました。
ピアノ、絵画、デッサン、学研教室、英会話、スイミング。
中でも印象に残っているのがピアノ。
母が一時期ピアノ講師をしていたこともあり、幼稚園の頃から母に教わっていました。
高校生の時に別の先生に習ったりもしましたが、大学に入ると同時に中断。
かなり長い間続けていたのにになぜ?と思うかもしれませんが、「させられている」という感覚が抜けませんでした。
「上手!絶対音感もあって譜読みも早い!」と褒められると、その期待に応るべく続けていましたが、得意だけど好きではないという感じ。
社会人になって電子ピアノを調達して再チャレンジしましたが、やっぱり続きませんでした(笑)
あと、スイミングも記憶に鮮明です。
小学校低学年の夏休みの体験から正式に通い始め、いつの間にか選手コースにまで上り詰めました。
選手コースになってからは毎週のレッスンが本当に苦しくて、行くのが嫌で仕方ありませんでしたが、ここまで上達したんだから辞められない、と感じていた気がします。
中学受験に向けての塾通いを期に辞めることになりましたが、今でも水の中で息ができない感覚が染み付いており、、水が少しトラウマです。
今になって思えば、私の負けん気や一つのことを継続する特性は、このあたりから来ているのかもしれません。
残念ながら、やりたくて続けるというよりも「期待に応えなくては」というhave toの精神が強かったのは否めません。
でも、「デザイン」というやりたいことが明確になった今、その特性をうまく活かせればより開花するのでは?と期待しています。
言いたいことが言えない
今でこそ自分の考えを発信するのに抵抗がなくなりましたが、高校生くらいまでとても苦手でした。
きっかけは、小学生のときに毎日友人になぜか怒られながら通学していたこと。
家で母に言い返す練習に付き合ってもらっていた記憶があります。
でもそのおかげで(?)、自分の意見を主張するよりも周りに合わせることができる性格になったような気がします。
その場の空気を読むことが割とできたり、「あ、この人は今こう思ってそう」など察する能力に長けていたり。
「人の気持ちがわかる」というと超能力者みたいですが、意外と当たります(笑)
その代わり、分かりすぎるがゆえに疲れることもたまにありますが……。
自由が制限されて不満なことも
これも今思えばですが、母の指示が絶対の生き方でした。
危ないからという理由で友達と繁華街に遊びに行くのも自転車に乗るのも禁止。
箱入り娘、的な感じでしょうか?
門限も早かったし、携帯電話を買ってもらうのにもかなり戦いました(笑)
習い事を始めるきっかけや中学受験も、母の希望が大きかった気がします。
なので、言葉を選ばすに言うと母に対して不満がありました。
今となっては、父が単身赴任で不在だったこともあり、私を育てる全責任を母一人で負う境遇だったということが理解できます。
でも、もし自分の子どもができたらなるべく自由にさせてあげたいなと思っています(自由の定義が難しいですが)。
ちなみに母とは今でも仲良しで、一緒に女子会をしたり旅行に行ったりもします!
私の幼少期はこんな感じでした。
どちらかというと「山登り型」ではなく「川下り型」のスタンスで生きてきましたが、自分の歩んできた人生に後悔はないし、いつもそのとき与えられた環境の中で全力に生きていたと思います。
もっといろんなことが浮かんでいるのですが、長くなり過ぎるのでこの辺りで締めます!
今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。