「余白研究」始めました。
いきなりですが、「余白」の研究を始めました。唐突に何を言っているんだ、となりますよね(笑)私の中での整理も兼ねて、「余白」を研究しようと思った経緯や、研究の内容について言語化してみようと思います。
自己紹介
改めまして、にーにと申します。
フリーランスで、資料デザイナー・ディレクターをしております。
2023年4月にフリーランスで活動を始め、気が付けば1年6ヶ月が経ちました。ありがたいことに継続してお仕事をいただけており、資料デザインを軸に、パンフレットやチラシ、Instagramの投稿画像などのデザイン制作や、資料デザインコミュニティの運営などにも積極的に携わっています。2024年4月からは、資料デザインのディレクション業務にも幅を広げることができて、日々学びの絶えない刺激の多い毎日を送っています。
フリーランスになるまでの経緯は過去のnoteなどにまとめていますので、ぜひお読みいただけると嬉しいです。
会社員時代の自分の生き方と比較すると、毎日が本当に充実しており、まさに「自分の人生を歩んでいる」といった感じです。ただ、そんな充実した毎日における私の課題が「余白」の確保でした。
なぜ「余白研究」をしようと思ったの?
ここで少し、体験を交えてお話しさせてください。
私はフリーランスで働いており、携わるお仕事の形態には自分で判断してお受けするものから業務委託で担当を任せていただけるものまで、様々です。内容も、ここ最近は「資料」に関わるお仕事が8割ほどを占めているかな?という感じですが、比較的経験を積んで感覚が掴めているものもあれば、新しいジャンルへの挑戦まで本当にいろいろあります。
複数のお仕事を並行して進めていると、定期的に「追われる」タイミングがやってきます。私のスケジュール管理の甘さやデザインスキルの乏しさを指摘されるとそれまでなのですが、プライベートでの予期せぬ事態や想定外のタスク、体調不良などの不可抗力などが発生する場合も少なからずあります。ということで、誰が悪いということではなく、やはり同じタイミングにタスクが重なってしまい、結果的に余裕のない生活に陥ります。
だいたいそんなもんでしょ!と捉えたり、そのくらいの方がエンジンもかかるし燃える!と感じたり、という方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、私が先日陥ったのは、想定外の事態が重なり、「全てにおいて不十分な状態で仕事を進めるしかない」という状況でした。
ここで一番辛いと感じたのは、「忙しくてうんざり!」ということではありません。それよりも、一つのことを「こだわり抜く」ことをポリシーとしている私にとって、自分の中で納得がいかない状態で進行せざるをえない、という事実は本当に受け入れ難いものでした。もう少し時間をかけて、自分の納得のいく形でご提案したい、もちろん自己満足ではいけないのですが、自分の制作物の魅力を相手に語れるくらい作り込みたい。あれもこれも、という焦りの中で、自分で「不十分だ」と感じる状態でお客様に提案する、改善余地があることは分かっているのにそのための熟考の時間を確保できない。「あ、この状態はデザイナーとして失格ではないか?」という、ちょっぴり情けない事態に陥りました。
ここで一つ誤解を招かないように説明すると、同時にお仕事をたくさん引き受けたくない、ということでは決してありません。任せていただけるのであれば、自分のスキルとスケジュール(と報酬)を考慮して挑戦したいという気持ちが強くありますし、何よりいただける環境にも感謝すべきです。ただ、挑戦を続けていると、どうしても「追われる」ことを避けられない瞬間はあるよね、ということです。
そんなもやもやを、夫に対して吐き出しました。最初は、「デザイナーとしてこれで良いのだろうか?」「スキル不足だからこうなるのかな」という不安をただ垂れ流している状態でしたが、壁打ちを繰り返す中で、ふと「余白」という言葉に辿り着いたのです。
正確にいうと、このとき初めて「余白」という言葉に出会ったわけではありません。これまでにも、「余白」という表現に、どこか惹かれるような、何か私にとって意味があるような、そんな気はしていました。
ここで、また実体験となりますが、今の私の原点でもある「キャリアブレイク」のお話をさせてください。私は、9年半勤めたメーカーをメンタルバランスを崩して休職し、約半年間の「キャリアブレイク」を経てフリーランスとして独立をしています。このキャリアブレイク期間は、決してキャリアとキャリアの間の「空白」ではなく、確実に次のステップに向かうための準備期間でした。
キャリアブレイクを経たからこそ今の自分がある、と言っても過言ではなく、心の底から必要だったと思える期間。これが、自分の中の一つの「信念」のような位置付けで私自身を作っているのですが、今から振り返るとこのキャリアブレイクも、余白をうまく活用した生き方の一つだったな、と気付きました。
そして今の私の生活においても「余白」が必要だ、という新しい発見で、点と点が線でつながったような感覚になり、「余白」について研究してみるのって面白そう!と感じました。
今、私は「余白」を確保できていない。私には「余白」が必要だ。私がこれまで心地よいと感じていた時間や瞬間、場所ももしかしたら「余白」の一つなのではないか?私が心地よく生きるための軸が「余白」なのかもしれない。一見そうは見えない時間や経験も「余白」として捉えられるのでは?
そんな考えが溢れてきて、きちんと言語化しておきたいな、という考えに至った、という経緯です。
余白研究ではどんなことをするの?
実は、ここはまだ解像度がそこまで高くはありません。ぼんやりと、私にとっての「余白」を考えることから、私自身の一番の課題である「余白」の作り方、みたいなところまで触れたいな、と思っています。
noteでの発信
考えたことは、noteを通じて発信していく予定です。あくまでも私自身の考えであり、何か解決策を提示できたり、根拠を伴う研究ができるわけではありませんが、ちょっとした気付きを言語化して発信していきたいと思っています。すでに、「私にとっての余白とは?」という考えだけは日々溢れるように出てきているのですが、全て記録できておらず、忘れていってしまっている気がしています(笑)
余談ですが、デザインの世界でも「余白」は永遠の課題だと感じています。どんなデザインであれ余白の取り方が重要だということは、まだまだ短いデザイナー経験の中でもひしひしと感じている事実です。
なので、デザインにおける「余白」と絡めて考えてみたいな、とも思っています。
Instagramでの発信
こちらは完全に趣味の範囲でもあるのですが、余白のある瞬間を切り取ってアップしていこうと思っています。写真は、どうしても対象物に焦点が当たりがちですが、その周りの空間に目を向けた投稿ができればと思っています。目下、準備中です!(笑)
その他
私単独でも、誰かと一緒にでも、「余白」に関するワークショップなんかも、できたらいいな〜と考えています。「余白」=「何もしないこと」ではないと捉えているので、目には見えなくとも経験として何かカタチにすることもできそうだ、と思っています。今はまだノーアイデアですが(笑)
ただ、ここで何より重要なのは、have toにならないこと!「余白」の研究をしなければ、となってしまうと本末転倒なので、そこだけは意識しておきたいポイントです。なので、ゆる〜く、取り組んでいきます!
最後に
「余白研究」の一番の目的は、これを考えることで「私自身が少しでも心地よく生きられたらな」という思いからです。ですが、私以外にも、世の中以外と「余白」を必要としている人って多いんだな、と気付く機会がありました。
先日、私が運営に携わっているコミュニティでふと「余裕のある人になりたい」と発言しました。ここで、あえて「余白」という言葉を使わなかったのですが、その後メンバーのみなさんが次々と、「最近余白がなくて」「余白をスケジュールに組み込みました」「余白のある生活を送りたい」と次々に発言しているのを聞き「みんな余白を必要としているんだ!」と分かりました。
でも、ここでみなさんが発した「余白」は、多分人それぞれ定義が違っていて、それを言語化してみるのもまた面白そうだな、と思ったり。
私自身が心地よく生きられるための「余白研究」。でもそれは、思っている以上に意味のあることで、誰かに何かのきっかけを与えることもできるのかもしれないな、と考えています。ぜひ、応援していただけたら嬉しいです。
そして、言霊という言葉があるので恥じずに書きますが、いつか「余白研究」で書籍を出版できたらいいな、なんて思っています。(小声)