見出し画像

もし「余白」があったら何をしたいですか?

「余白って必要ですか?逆に、もし余白があったら何をしたいですか?」と聞かれて、答えられなかった話。

数ヶ月前、とある人と「最近どうですか?」という話をしていました。当時の私は、「余白」という言葉を特に意識して使っていたわけではないのですが、「新しいことにチャレンジしていたりするので、毎日忙しくて生活に余白がなくて・・・」と返答したら、「そもそも余白って必要ですか?逆に、もし余白があったら何したいですか?」と問われました。

そのときの会話では「余白」が論点ではなかったこともあり、その問いに対してどのように回答したか、回答できたかは記憶にありません。そのまま忘れ去っていたのですが、「余白」の研究を始めようと思ったときに、その問いが呼び起こされました。

「余白」は何かをするためのものなのだろうか?
「余白」があったら何かをしないといけないのだろうか?

決して、その方の言葉が正しいとか間違っているとか、そういうことではありません。それに、私のように「余白」という言葉を取り立てて意識して使い分けていることもおそらくないはずなので、そこだけを切り取るのは少し強引なのかもしれません。ですが、その方の中では「余白」=「何もしていない状態」という関係になっているんだろうなと気付いたときに、私の中では「ここに何か違いがありそうだ!」と発見がありました。

その人がおっしゃった「余白」は、おそらく「時間の余白」なんだろうなと考えます。物理的に空いている時間のイメージです。なので、ずっと読みたかった本を読む、行きたかったところに赴く、見たかった映画を楽しむ、といったように、行為に焦点をあてる回答が想定されるのかもしれません。英単語にするなら、「DO」に当たるのでしょうか。

一方、私の考える余白に近いのは、物理的に空いている時間ではなく、「気持ちの余白」。このタイミングで空いている、というふうに説明できるものではないので、余白があったら何かをするという考え自体が私の中にはなく、即答できなかったんだろうな、というように思います。こちらも英単語にするとなると、「BE」になるのでしょうか。

同じ「余白」というワードでも、その前提や捉え方が人によって違うのは興味深いな、としみじみ感じます。と同時に、やはり「余白」という言葉は奥深く、それ単体で使うことには少しハードルがありそうです。研究を通じて、いろんな「余白」に出会えたらいいな、と思っています。


いいなと思ったら応援しよう!