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生きたい

これはある日の私のツイート。

随分と不穏なツイートをTLに投下してしまっている。見る人が見れば病みツイと捉えられても仕方がないだろう。

少し前のことになるが、先日
銀杏BOYZの新しいアルバム「ねえみんな大好きだよ」を購入した。

実に6年ぶりのアルバムだそうだ。

昔から元々新作のリリースがそこまで頻繁ではないから6年と聞いてもそうは驚かないけれど、銀杏BOYZは新作が出る度にそのサウンドをメッセージを楽しみにしてしまう大好きなバンドの1つだから、今回もウキウキで購入し聴いた。

冒頭から解き放たれるような耳を劈く破壊衝動みたいなノイズ

青臭い青春を全速力で駆け抜けるけど
その一瞬で過ぎていくはずの景色がスローモーションですごく美しく脳裏に焼き付くみたいに曲が進んでいく。

そして、どの楽曲も季節の中に潜むセンチメンタルな空気ととてもマッチした時に心が揺さぶられる。

良いよ良いよ!とても良い!!
私、銀杏BOYZのこーゆーの待ってた!!

そんな、駆け抜けていく中でも
つい足を止めざるを得なかった曲があった。

9曲目の「生きたい」という曲

「人間」「光」に次ぐ銀杏の超大作の三部作目の完結編的なこの曲

それまでの疾走感から一変し
昔のフォークソングみたいな曲調と、ひとつひとつ丁寧にこちらに言葉を語りかけてくるみたいな峯田の歌い方。

じっくり耳を傾けずにはいられなかった。

中でも、歌詞の中に出てくる新宿の女の子。
この女の子にとても感情移入してしまって心が痛かった。

私には家が無いから毎晩こうやって誰かに抱かれるのって笑いながら話した彼女

でも何度となく繰り返す

「幸せになりたいよ」 が悲痛過ぎる。

私は家が無い訳ではないし、それ故毎晩身体を売って誰かに抱かれてるなんて経験は一度もない。

それでもこの女の子に心当たりがあるのは、放っておけないのは、この子の持つ孤独こそ私自身の孤独であるからだ。

そうだ、今でもずっと思ってる
私は愛される日が来るのかな?
私は幸せになれる時が来るのだろうか?
いつも心のすみっこに居るこの感情

私もいつも真っ黒いのが冷たいんだ。

時は遡り、17歳になったばかりの冬頃
地元のCD屋さんで試聴して一瞬にして心を奪われて興奮気味でレジにそのCDを持って行った。

それが銀杏BOYZとの出会いだった。

それから毎日のように聴いた。
朝の通学時、マフラーぐるぐるで星空見上げながら白い息吐いて自転車漕ぐバイトの帰り道、帰宅後も自室に籠って寝落ちするまで何度もリピートして聴いた。

勉強もできなくて、学校は比較的自由な校風であったことがまぁ救いではあったけれど、それでも毎日なんだか退屈で、そのくせ将来やりたいことなんかもない

ほんとに心から気が合って好きなものの話ができる人も身近に居なくて、他の子達みたいに彼氏が欲しかったけど、そもそも男子と会話しないからできる訳もなく、たまに紹介してもらった男の子とも上手くいかなくて途中で連絡が来なくなったり、次第に周りと話す話題も無くなって浮いた存在になっていく・・・ なんとなく、いつもどこか満たされなくて惨めな気持ちだった。

青春という貴重な時間をこんな鬱屈した日々で過ごしていた私にとって銀杏BOYZは無敵だった。

聴いたこともないような下品な歌詞、その一方でこんな私みたいなズブズブなメンタルの持ち主にも優しく手を差し伸べてくれるメッセージがそこには込められていて、とても上手いとは言えないメチャクチャな演奏と爆音とシャウト、それらが私の中の惨めで寂しい気持ちを吹っ飛ばし無敵の心を手に入れた気分にさせてくれた。それが私にとって最強の武装となった。

私もいつかこの惨めな気持ちがなくなって強く生きられるといいな。幸せになれるといいな。

そして、なにより私は
そんな素敵な音楽と出会えたこと、そんな素敵な音楽が好きな自分がとても好きだった。唯一私自身の誇れるもの。

あれから10年以上が経過した
今もまだ同じような気持ちで、同じような惨めさと寂しさを抱えながら生きている。

そして、私はまだ独りだ。

真っ黒いのが冷たい。

いつも心のすみっこに居るそいつを見て見ぬ振りをしている。

見て見ぬ振りをしているうちはいい、

でも時々何かの拍子にそいつと目が合うと
勢いよく飛びかかってきて凶暴に襲ってくる。

そうなるともうどうしようもなくて
自分のアイデンティティも保てなくなり存在意義さえも分からなくなってくる始末

それが冒頭のある日のツイートみたいな気持ちに繋がってくる訳だ。

そんな時に聴いた「生きたい」という曲は
とても聴き流せるようなものではなかった。

「銀杏BOYZの音楽は、あなたが辛い時にそっと寄り添ってくれる友達みたいな音楽でありたい」と、峯田がインタビューで言っていた。

少なくとも私にとって銀杏BOYZはそんな存在だ。

惨めで寂しくてズブズブメンタルを飼い慣らしてる私に10年以上経った今でも変わらずそこに居てくれている。

そして、私自身も17歳の時に初めて聴いて世界が真っ二つに軋んだあの日から今日までずっと変わらない気持ちで好きで居られてることが嬉しい。

一時、銀杏BOYZから少し気持ちが離れてしまった時期も正直あったけれども

そんなところもまた、現実世界の友達みたいだ。

そして今もまた、銀杏BOYZを聴いている世界線に居られてほんとうによかった。

これには解決策などない。
答えなんかないこともとっくに知っている。

好きなものが好きと誇る気持ちを大切にしながら
時々現れるズブズブメンタルともなんとなく上手くやり過ごしながら、のんびり生きてりゃいいんだろうな。そんな感じでいいのかもしれない。

というか、それしか方法はないのだから。
生きるってきっとそういうことなのだろうから。

冒頭の不穏なツイートをTLに投下した日の私も
生きているだけで輝いてみたかったんだ。

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