戻れば・消えて・しまうけど
時空に切ない片想い
時空にまっすぐ立つのはとても難しい
意識の泡風呂に浸かりつづけ
目を開けると危うい風景は脆い
明日も君たちのことわかるだろうか
昨日が 今日とは違うんだから
もうわからないかもしれないネ
いちばん近いひとたちのことをいちばん遠く感じてしまうとき、いちばん寂しくて哀しい。
自分の居る感覚がなく、他人の居る感覚もなくて、UFOに攫われていくヌイグルミみたいに、いつでも日常が変わり果ててしまうような気がしてくる。そろそろこんなのは終わりたい。
睡眠は重要な“さかい目”だ。デルタ波を合図に各パラレルワールドの住人たちがひとつのワールドに交わってゆき毎日が創出されているのかも、というくらいには重要だ。
ふと横を見ると向かいの家にまだついている窓の明かりと、ふちに置かれたウィスキーボトル。今日あったことを忘れたまま平行する世界たちを繋ぐ梁が折れてしまっても、とりあえずいま、待ち合わせの気配を確認することができた。
昔、友達や親せきの家に泊まった翌日に目を覚まして瞼を開けると必ず、普段することを普段しない場所でしてしまったという猛烈な気恥ずかしさと一緒に「あなたは誰 わたしはどこ」の混乱状態になっていたことを思い出す。(なるよね?)きちんとホームを感じている証拠なのだろうかと思いきや、家でもそういう時があってガックリした。
さかい目に遭遇したら、室内と室外の温度差が大きいほどたくさんのくしゃみが出る。
ちゃんと自分が築いた“たしかな”ものはあるかと、いつものように周りを見渡した。そんなものないかもしれないけどそんなこともないかもしれないと、とりとめなくおもう。
すべてはいつだってアンビバレントか。
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