地方で暮らすという選択肢は、案外悪くない
東京から沖縄にUターンしてきて早半年。
沖縄に帰ってすぐは、東京で働いている人との関係性を保つ事とか、時流から乗り遅れるとか、そんなことをすごく考えていた。
けど、沖縄に帰って、仕事の関係上アーティストに出会う機会が増えたり、街でかっこいいプロダクトを作ったり、自由な考えで働いている人と話す機会が増えて、地方=垢抜けない、少し遅れている、といった感覚が、半年経った今、全く無くなっていることに気づいた。
きっとコロナ禍で世界中がstay homeになり、その場にいないと享受できないものが減って、ある意味皆平等な立場になったことの影響もあるけれど、
その土地に文化があるなら、もしくはかっこ良く・おしゃれにあろうとする人がいる限り、その周辺には東京からも地方からも人が集まってくるし、沢山集まらなくても、質は上げられるし、実は、東京にいなければいけない、という強迫観念だけだったのかもしれない。
独自の文化がある、というのは月並みな言い方だけど、まさにその通りで、沖縄は「全くもって独自の文化がある」地域で、今もその伝統を正統に受け継いだり、現代と交差させたり、様々な表現者がいる。(表現者は、何もアーティストだけではなく、市井の人も含む)
例えば、満月の夜にだけ、首里城近くのお寺で開催される琉球古典音楽会があると思えば、行政主導で、サブカル的なアーティストのウォールアートをお願いしていたりする。なんだ、ちょっと良いものがあれば、行政や正統派ともすぐお近づきになれるんだ。という距離感が地方の魅力だ。(これも月並みな言い方だけど)
要は、どこに居ようと、そんなかっこいいものに、電球に群がる蛾のように吸い寄せられるような心を持っているかどうか、ということなんだろう。
沖縄好き、そうでなくても、沖縄はえてして人が良いと思われがちだけど、案外曲者も多い。なんせアメリカ統治・基地負担があって、(もうこのワード自体が、沖縄の話を出すとイコール出てくる。そして実はあんまり深く意味や背景を考えずに使うことも多い。だってなんとなく真面目に向き合っているように見えるから。)結構貧しくて、独自の商慣習があるんだから、しょうがない。
あと1年後も、同じように、地方で暮らすのも案外悪くない、と思っているのだろうか。それとも飽き飽きしているのだろうか。
このnoteで、1年間の気持ちの持ちようを考察していきたい。