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『百年の孤独』G・ガルシア=マルケス

海外文学のベストワンに選ばれることも多い、G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』鼓直(つづみ ただし)訳をついに読了した。
絶対に文庫化しないといわれ、ハードカバー(2,800円税抜)を3冊も買ったのに、今年ガルシア=マルケス没後10周年にして文庫版が出た。
だけど、ハードカバーの墨絵の感じが生命力漲っていて、なのに孤独さを表していて好きなので問題ない。

『百年の孤独』は書評などを全く読まずに、ただ面白いという評判とガルシア=マルケスは生涯で一度は読んでおかなきゃという義務感みたいなもので手に取った。
なので全く知らなかったけど、南米のマコンドという村を開拓し隆盛し衰退し廃墟となるまでの、一族について描かれている。
その一族が抱える孤独と、南米のジャングルが持つ圧倒的な生命力、家という舞台装置、唐突に提示される愛の物語だ。

孤独について

マコンドの同じ家に住んでいる家族達は、にぎやかで密な空間にいるはずなのに、それぞれが孤独を抱えている。50年ほどたった今、SNSで沢山の人と繋がっているはずなのに、耐えられないほどの孤独を持つ私たちと何ら違いはないと思う。
ガルシア=マルケスは様々な種類の孤独を描きたかったのではないか。

南米という、圧倒的に摩訶不思議で生命力の強い場所

『百年の孤独』は南米の辺境を舞台に選んでいるからこそ、その魅力が増していると思う。
死人は生きている人と同じように(まではいかないけど)そのあたりを動き回っているし、映画より空飛ぶ絨毯のほうが受け入れられるし、絶世の美女はシーツとともに天へ召される。
何故かはわからないけど、その摩訶不思議さを「まぁ南米だもんな」とすんなり受け入れてしまう。
鼓直編『ラテンアメリカ怪談集』を読んだときは、あまりの奇妙さに不完全燃焼さが残ったのだけど、『百年の孤独』に関しては、このマジックリアリズムがそのまま受け入れられた。これはガルシア=マルケスの魅せる技か、単に自分の包容力が上がっただけなのか。
そして、南米ジャングルのすべてを覆いつくす緑や虫の生命力のすごさ。私も南国の島で生まれ育ったので、亜熱帯の森の生命力・奇想天外な形とその鬱蒼とした感じは知っているつもりだけど、やっぱり南米はその先、いや何十倍も奥までいっている。それは意外と短期間で、すべてを飲み込んでしまう。それらをも廃頽させる熱く乾いた風。すべては砂に帰る。

ウルスラばあちゃんが一生涯不屈の精神をかけて整える「家」。男は戻ってくるし、女は出ていく。どこもかしこも清潔だった家が朽ち果てていく様子は、一族の衰退を視覚的に見せていて、とても物悲しい。田舎の家々を見ているときと同じ気持ちが沸き立つ。

訳者がまず好き

鼓先生は好きな訳者の一人。まさにこの記事の通りで、硬い言葉から卑猥かつユーモア満載の言葉まで使いこなす。
ガルシア=マルケスの原本を読むことはもちろんできないけど、きっと鼓先生のエッセンスがうまい感じに振りかけられて、原本とは違う、でも多分とても良い塩梅の『百年の孤独』を、日本語話者だからこそ読めているんだろうと思う。亡くなられたのがとても残念。


次に読みたい本

家と南米ジャングル繋がりで、バルガス=リョサ『緑の家』かな。ちょうど家にあるし。
あとは孤独繋がりで、ボフミル・フラバル『あまりにも騒がしい孤独』も良いかも。東欧チェコの、全然違う環境にある作家からは、どんな孤独が描かれるのか。
どちらも楽しみ。

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